ホットワイン、冬のドイツ名物 幸せ呼ぶ香りと温かさ
強い寒波に大雪。冷えた体を温め、この季節らしい味覚を楽しむとすれば、鍋物に熱燗、と思いつく。そこで、温めた酒を楽しむ文化は日本独特と思うかもしれないが、実はそうではない。ドイツにはグリューワイン(Gluhwein)という飲み物がある。主に赤ワインにスパイスやフルーツを加えて温めたもの。いわゆるホットワインのことだ。
と書いている筆者自身、この味を知ったのは昨年暮れのことで、それ以前は「ヨーロッパではワインを温めて飲む飲み方もある」ぐらいの話を知識として知っているだけだった。
ところが11月下旬、現在ドイツに住んでいるかつての同僚がクリスマスカードを送ると言っていたのが、実際に届いたのは封書ではなく小包で、そしてそれにはドイツのクリスマスシーズンには欠かせないシュトレンなどの甘い菓子が入っていた。
そしてもう一つ、ティーバッグも入っていた。手紙には「グリューワインも入れておいた」とある。そこで初めて、グリューワインとは単に加熱するだけではなく、香味も加える、いわば温かいサングリアのようなものだと合点した。
さっそく、手許にあった赤ワインを火に掛け、そこにティーバッグを沈めた。沸騰させてはいけない。それでも鍋の縁がふつふつと湧きだした頃には、独特の香りがキッチンに充満するようだった。
まずクローブ(丁子)の独特の香り。そして甘酸っぱい柑橘類の香り。これを厚手の耐熱グラスに注ぐと、赤ワインに白い湯気が立つのがよく見えて、いかにも温かそうだ。少し酸味が立ちながら、クローブとシナモンの香りが味に丸みをつけるような印象がある。
これはいい、などと、ついつい飲み過ぎてしまいそうな、ちょっと危険な雰囲気もあるが、いつものワインよりはアルコールが飛んでいるようでもある。
この冬の楽しみを教えてくれた友人によれば、グリューワインはドイツの冬には欠かせない飲み物であるという。特に古くからの風物詩であり、現在では観光の目玉ともなっているクリスマスマーケットでは、グリューワインの屋台が何軒も立つという。
屋台それぞれが大鍋で仕込むグリューワインは、クリスマスマーケット全体に独特の香りを漂わせる。人々はこれを飲むために立ち寄り、あるいは飲みながら市場巡りを楽しむという。日本で言えば初詣で甘酒を飲んで温まるようなイメージだろうか。
そして、クリスマスが終わってからも、それぞれの家でグリューワインを作って楽しむのがドイツの冬であるという。その家ごとのレシピでスパイスとフルーツを加えるが、手軽に使えるティーバッグもある。また、すでに風味付けがされ、温めるだけで楽しめる瓶入りグリューワインもポピュラーで、クリスマスシーズンにはスーパーの店頭にもたくさん並ぶ。
筆者も数日面白がって飲んでいるうちに、ティーバッグはあっという間になくなった。そこで調べてみると、国内の百貨店や食料品店でもティーバッグや瓶入りグリューワインを扱っていることが分かった。
そんなことをSNSで少しつぶやいてみると、身の回りの友人知人でもドイツ旅行をする人、ドイツはじめヨーロッパ関連の仕事をしている人の間では、冬にはこれが欠かせなくてという人がけっこういることが分かった。
そのうちの一人、ある百貨店に勤め、ドイツやオーストリアのワインにも詳しい人に、グリューワインのことをレクチャーしてほしいとリクエストしたところ、意外にも紹介してくれたのは都内、石神井公園駅が最寄りとなるフランス菓子専門店「ブロンディール」だった。
そこへ行けば、店内でフランス菓子といっしょにヴァンショーを楽しめるという。ヴァンショーはvin chaudで、これもフランス語で温かいワインという意味になる。パティシエの藤原和彦さんは、ロレーヌ地方の菓子店で修業した経験があり、ヴァンショーは同地方でも冬場に当たり前に飲む飲み物の一つとして親しんだ。それで、同店でも自然にメニューに含めたそう。
ドイツと国境を接し、歴史的にもドイツの影響を受け、現在もドイツ系住民も多い地域。それだけに、ドイツと同じように、クリスマスマーケットには必ずヴァンショーの屋台が立つという。
「作り方はいろいろだけれども、スパイスとフルーツが入るのはだいたい同じ。私の場合は、スパイス5種類とフルーツ3種類。ワインに材料を入れていっしょに温める方法もありますが、私はワインの火を止めてからほかの材料を入れます。これを入れるタイミングと引き上げるタイミングの両方ともが大切。ずっと入れていると雑味が出てしまう」
そうして作ったこだわりのヴァンショーは、デミタスカップで提供された。ティーバッグのものよりもはるかに奥行きを感じさせる香りと深いコクのある一杯で、たっぷり飲むわけでもないのにあっという間に体がほかほかと温まるようだった。そして、この酸味は、洋菓子ともなかなか相性がいいという発見もあった。
そうしてますますグリューワイン、ヴァンショーの魅力に引き込まれながら、あれこれ当たっていると、さらに多くのバリエーションがあることがわかってきた。たとえば、フランスには白ワインで作るホットワインもあるという。また、ドイツ、フランスだけでなく、ヨーロッパ各地で、カフェなどでもよく扱われていることがわかった。
カフェの場合、エスプレッソマシンが普及した現在は、あらかじめ仕込んでおいた冷たいものや仕入れた瓶入りのものをエスプレッソマシンのスチームで温めてスピーディーにサーブするケースも多いという。これはアルコールが飛ぶのが抑えられるため、少し度数が高めであるようだ。ハードが変わることで、味も変わっていくのは世の習いか。
それも含め、店ごとに家ごとに多様なグリューワインがあることが分かったが、どのレシピでもほぼ共通して含んでいるのは、クローブとオレンジなどの柑橘だ。スパイスもフルーツもたくさんの種類があるが、なぜこの2つは付きものになっているのだろうか。
そこで浮かび上がってきたのは、意外な歴史的背景だった。ヨーロッパでクローブが盛んに使われ出したのは16世紀前後かららしい。それはもちろん大航海時代で、アフリカやアジアの文物がヨーロッパにもたらされた時期ということであるのだが、もう一つ見逃せない歴史がある。17世紀にペストの流行があったということだ。
そして、その頃から盛んに作られるようになったものにフルーツポマンダー(fruit pomander)というものがある。リンゴなどの果物に、強い香りを持つ釘型のスパイスであるクローブを突き刺して、それを部屋につるすなどして香りを楽しむというものだ。
実はこの香りは単に「楽しむ」ものではない。病原菌が知られていなかった当時、ペストは劣化した空気によって引き起こされると信じられており、この空気を清浄にすればペストを防ぐことができると考えられていた。フルーツポマンダーは、そのための「空気清浄機」だったのだ。
このリンゴが、さらに香気の立つ果物である柑橘に置き換わり、現代でも家庭でフルーツポマンダー作りは楽しまれ、やはりクリスマスシーズンに向けて用意することが多いようだ。
だとすれば、これは推理でしかないが、グリューワインのクローブと柑橘は、部屋につるしたフルーツポマンダーの乾燥したものをワインに入れたことが始まりであったようにも思われる。あるいは、フルーツポマンダーのために身近に用意している材料で、慣れ親しんだ香気と使いやすさのためにグリューワインに使われるようになったのかもしれない。
いずれにせよ、冬のドイツは、街でも家の中でも、このクローブと柑橘による香りに包まれる世界であるようだ。ペスト禍がない現代であっても、ドイツ人にとってその香りは「無病息災」「家内安全」を連想させ、心安らかな気持ちにさせるものなのかもしれない。
(香雪社 齋藤訓之)
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