打ち上げ失敗、原因はハイフンひとつ 米探査機の教訓
失敗だらけの人類史
宇宙探査の歴史に多くの事故があったことは言うまでもない。なかには、コンピュータープログラムにおけるたったひとつの「ハイフン」の見落としが、莫大な予算をつぎ込んだロケットの打ち上げ失敗を招いた例もある。この「抜けていたハイフン」の物語は、ナショナル ジオグラフィックの書籍『失敗だらけの人類史 英雄たちの残念な決断』(ステファン・ウェイア著)でも紹介している。身の回りのあらゆる機器、機械、インフラがコンピューターによって制御されている現代、この失敗は、プログラマーのみならず万人への教訓となりうるだろう。
初めての惑星探査
1950年代後半、米国とソ連の宇宙開発競争が始まると、NASAのジェット推進研究所(JPL)は、大型で高機能を誇る一連の惑星探査機「マリナー」の壮大な計画を立案した。これほど大きな探査機の打ち上げは、新型の強力な打ち上げ用ロケット「アトラス・セントール」の開発にかかっていたが、これは厄介で多額の費用が必要となりそうだった。
そこで、最終的にはマリナーの機能を減らして装備も必要最低限に抑えるしかなく、打ち上げも、すでにある打ち上げ用ロケット「アトラス・アジェナB」で行うことになった。このようなコスト削減にもかかわらず、マリナー計画の規模は5億ドル以上に膨らむこととなる。
金星を目指したマリナー1号は、米国が初めて地球以外の惑星へと送り出す無人探査機だった。動力供給を補助する太陽電池パネルが取り付けられていたほか、目的地の金星を調査するための機器を搭載していた。この探査機はアトラス・アジェナBによって、1962年7月22日に打ち上げられた。
しかし、発射の約4分後、このロケットが予定外の方向転換をし、コースからそれ始める。NASAの安全担当職員は、飛行を中止する(ロケットと探査機を無駄にする)か、続行する(ロケットが住宅地や船舶の航路に墜落する危険を冒す)かを、1分足らずで決めなければならなかった。そして、ミッションの中止を決断。ロケットは爆破された。
プログラムミスとテスト不足
事故後の調査によれば、この事故には原因が2つあった。1つ目はロケットの無線誘導システムに関するもの。これが本来の役目を果たさなかった。2つ目は、そのバックアップとして用意されていた誘導コンピューターに関する問題だった。
計画では、無線誘導システムに不測の事態が生じた場合、バックアップ用の誘導コンピューターが作業を引き継ぐことになっていた。だが、この誘導コンピューターのプログラムにミスがあった。プログラムを書く過程で、平滑化を表す「上線(オーバーライン)」が数式から抜け落ち、不適切なプログラムを作成してしまっていたのだ。
このミスにより、ロケットは不必要なコース変更を開始。その結果、ロケットはコースから外れていく。それまでのテストでは無線誘導システムが正常に働いていたので、バックアップ用コンピューターの不具合に事前に気づく機会がなかったという。問題の上線は、後に「ハイフン」として世に伝えられた。
報告書には次のように記載されている。「コンピューターに搭載した誘導プログラムからハイフンがなぜか抜け落ちていたため、誤った信号による指示でロケットは左に向きを変えて機首を下げた。(中略)あえて言うなら、アメリカ初の惑星間飛行の試みは、ハイフンが1本抜けていたために失敗した」。このロケットは8000万ドル以上したことから、SF作家のアーサー・C・クラークはこのエラーを「史上最も高くついたハイフン」と評している。
幸いなことに、マリナー1号には予備機があった。そのマリナー2号の準備が1~2か月以内に整わなかったなら、この莫大な財政的損失により、まだ創世期にあった惑星間飛行計画は本当の始まりを迎える前に打ち切られていただろうといわれている。マリナー2号は1962年8月27日に打ち上げられ、同12月14日に金星まで約3万5000キロまで接近し、ミッションを完了した。
[書籍『失敗だらけの人類史 英雄たちの残念な決断』を再構成]
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