恵方巻きはなぜ太巻き? にぎりや押しずしでない理由
毎年この時期になるとよく見かけるもの。それは、恵方巻きを売り出す華やかなチラシだ。今や恵方巻きは2月の一大イベント。すし店だけでなく、食べ物を売るありとあらゆる場所で「何かを巻いたもの」が、今年の恵方の方角とともに盛大に売り出されている。
バレンタインデーもかくやという大きな商戦となったため「そもそも東京には恵方巻きなんてなかった。嘆かわしい」などと水を差す人もいる。だが、それを言ったら「日本古来のものに見えながら、そもそも日本になかった伝来のもの」など、ごまんとある。和食に欠かせないコメやダイコン、ハクサイなどみんな海外からやってきたものだし、和菓子もほとんどは外国から輸入されたものが元になっている。無理に自分を曲げてまで乗っかる必要もないが、単純に「おいしい巻きずしがいっぱい出回る日」と思えば、なんだかウキウキしてこないだろうか。
とはいえ実際、近年まで東京では知られていなかったのは事実だ。私が知ったのは、30年ほど前に三重県に嫁に行ったからだ。東京でもよく見知っていた持ち帰りずしの全国チェーン店が、三重県の住まいの近所にもあったのだが、そこで太巻きの丸かぶりを推奨するポスターが大きく貼られていたのを見たのが最初だ。
見たことも聞いたこともない風習だったので、驚いて三重県の友人たちに尋ねると「食べる人は食べる」くらいの認知度で、まだみんなが知っているというレベルではなかった。その数年後に移り住んだ名古屋では年月がたったせいか「知ってはいる」「聞いたことはある」と、少し有名になっていた。しかし当時、東京の友達にこの恵方巻きの話をしても、もれなくキョトンとされたものだ。
調べると、スーパーやコンビニなど早いところは90年代前半に全国展開をしていたとあるので、東京でもあるところにはあったのだろう。しかしまだ大々的とは言い難く、一般市民の心に入り込むまでには至らなかったのかもしれない。引っ越しても引っ越してもなぜかいつも近所にある持ち帰りすしチェーンの店頭で、私は毎年太巻きポスターを不思議な気持ちで眺めていたものだ。
ところがそのころ、大阪ののり屋さんから面白い話を聞いた。
「恵方巻きは、実は僕らが仕掛けたものなんですわ」
恵方巻きって大阪でも食べますか、という私の問いに思わぬ答えが返ってきた。その方が言うには、もともと関西の一部で食べられていた「節分の太巻き」を、のり業界の組合が「恵方巻き」としてはやらせようと仕掛けたのだとか。
何度もいろいろな取り組みをしたおかげで、関西を中心にだいぶ広く知れ渡るようになってきたが、でもまだ東京では全然知名度がないので「東京でも流行らせたいんですわ。のり売れるでしょ」とのことだった。
握りずしずしでも押しずしでもなく巻きずしなのは、のり屋さんが一枚かんでいるせいもあったのだ。
またその方からは、なんで太巻きなのかの理由も教えてもらった。
ざっくり言うと「関西発祥だから」ということだ。巻きずしには、太巻きと細巻きがある。局地的な例外や、個店での創作を抜きにすると、関西は太巻きで、関東は細巻きを好む。
巻きずしはもともとあったすしを巻いてみたのが始まりと言われている。つまり関西はサバずしや小鯛ずしなどの押しずし、箱ずしを巻くので、自然と太くなる。一方、江戸ではにぎりずしを巻くので細くなる。どちらも最初はささの葉やハランなどを使っていたのが、のりの製法が確立したことによりのり巻きになっていくのだが、巻こうとするものの大きさがそもそも違ったというのだ。
ちなみに手巻きずしは、細巻きからの流れなので、太巻きとはルーツが全然違うとのこと。だから太い手巻きというのはありえない。のりの上には、握りのシャリと同じ量のシャリしか乗せてはいけない。家庭でやるときもそれだけは守ってほしい、というのがのり屋さんの願いだった。はい、あれから20年。もうお名前も忘れてしまったけれど、それだけはいまだに守っている。なので私の手巻きは細いのである。
話を恵方巻きに戻そう。
今世紀に入ってからの、恵方巻きの快進撃はもうみなさんご存じだろう。コンビニで積極的に売られ始めてからは、関東だ関西だという垣根を軽く飛び越え、全国で「節分は恵方巻き!」というキャンペーンが行われている。もはや「豆をまく」よりも、「イワシを食べる」よりも、ずっと多くの人が参加するのが恵方巻きの丸かぶりだ。
恵方巻きの中身も加速度的に進化している。「え、おいしい海の幸だけでなく肉も巻いちゃうの?」と驚いたのが、遠い昔のようだ。今や肉の恵方巻きなんて当たり前。その肉もステーキあり、トンカツあり、すき焼きあり、焼き肉あり、ローストビーフあり。「肉を」巻いた恵方巻きだけでなく、「肉で」巻いた恵方巻きもある。プロヴァンス風チキン恵方巻きなんて、恵方じゃなく、うっかりプロヴァンスの方角を向いて食べてしまいそうだ。
もちろん王道は海鮮モノ。最近の恵方巻きは中身をぜいたくに大きくするのが目立っているが、中でも海鮮モノの芳醇さは見ているだけでもワクワクする。ちょっと前までは「中身は七福神にちなんで7種類」という説がまことしやかに流布されていたものだが、最近は「日本には八百万の神がいる」とばかりに、7種類どころではない大きな太巻きが群雄割拠している。
すしではあり得ない「もちもち」とか「ふわっふわ」などのオノマトペが踊るスイーツ恵方巻きも、近年参入が著しい。サンドイッチ恵方巻きや、シューマイ恵方巻きなど、実物を見なければちょっと何言ってるかわからないような案件も増えてきた。先日は「チキンライスを薄焼き卵で巻いた恵方巻き」という、それ有名な洋食メニューですよね? と問い詰めたくなるようなものも発見した。まさになんでもありだ。そのうち義理チョコ、友チョコのように、義理恵方巻き、友恵方巻きなんて風習もできるかもしれない。そうなったらもう本物だ。
先日、私が大好きなあるすし屋さんに「イチオシの恵方巻きは?」とお尋ねした。すると「やはり魚屋ですから生ネタを食べて頂きたい。揚げたり、味付けしたりした物もおいしいですが、魚のおいしさを感じてほしいと思います。 だからおしょうゆはちょっとだけつけて食べてほしいですね。握りとは違う、巻きずしならではのいろいろな味を一度に口にするハーモニーもぜひ」と、胸がキュンとする回答をいただいた。今日からあたかも自分の言葉であるかのように使っていきたいと思う。
新しいものには、必ず反発がある。実際、私の友人でもかたくなに「恵方巻きなんてものに心を許さないから」と拒み続ける人もいる。
しかしこういった行事食は、家の料理を作る人にとっては実にありがたいものだ。作り手にとってイチバンの悩みは常に「今日は何を作ろう」というものだ。冷蔵庫には何が残っているのか。スーパーでは何が安売りか。野菜は食べなくちゃいけないし、肉は解凍してないし、昨日もサラダだったし、毎日同じというわけにいかないし、アレは私が嫌いだし、コレは家族が嫌いだし……といういろいろな要素をスッキリ解決する方程式を作る作業、それが難しいのだ。
なので「今日は節分だから恵方巻き」と決まっているのは、すごくありがたい。献立について何も考えなくていい、というのは本当に気持ちが解放される。人数分を買ってくれば晩ごはんの用意が済むことの尊さは、何ものにも代えがたいのだ。したがって今後ますます恵方巻きは広く受け入れられ、節分の定番となって行くだろう。
恵方巻きの未来には、明るさしかない。
(食ライター じろまるいずみ)
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