英語でこんなことわざがあるのを知っていますか? 「人生があなたにレモンを与えるなら、それでレモネードを作りなさい」。どんなレモンでも、しぼりようによってはおいしいジュースに変えられる。最初に得る仕事は確かに酸っぱいレモンのようかもしれないけれど、それをおいしいジュースに変えられるかどうかは自分次第ということです。専業主婦をやめて働き始めたときから、私は「どんなに酸っぱいレモンでも、絶対においしいジュースに変えてやる」と思っていました。

働き始めた理由は「娘のため」

なぜそこまで本気になったのかと不思議に思うでしょうか。それは娘のためです。フィリピン華僑の家に生まれた私は国費留学生として20歳で来日。東京外国語大学を卒業した後、貿易会社に就職し、27歳で現在の夫と結婚して日本国籍を取得しました。

30歳で娘を出産し、勤務していた広告会社を辞めた(Waris提供、工藤朋子撮影)

夫は外務省に勤務しています。こう言うと「コネがあっていいわね」と思われがちですが、そんなことはまったくありません。夫の立場を考えれば、「仕事を紹介してください」などと軽々しく口にできるはずもない。海外赴任の多い夫に帯同し、5カ国で暮らしましたが、私自身の生活はどこにでもいる「公務員の妻」でした。

娘を出産したのは、広告会社に勤務していた30歳の時です。20代の頃は、出産後、自分が仕事を辞めるなんてみじんも思ってはいなかった。でも、娘が生まれてすぐに気がつきました。何でも全力で取り組まないと気が済まない私の性格では、仕事と家庭の両立はとても無理だと。

17年間、私と一緒に過ごした娘は米ハーバード・カレッジに進学。卒業して外資系金融機関の日本法人に勤務しましたが、その後、ハーバード・ロースクールに入り、弁護士資格を得て、現在は米マサチューセッツ州最高裁長官の下で働いています。

専業主婦としての自分に自信を持たせてくれたのは娘の存在です。彼女はハーバード、イェール、プリンストンという米名門大学のすべてに学費免除で合格するほど勉強が得意でしたが、私は「勉強しなさい」と強要したことはありません。ある時、「どうすれば娘さんのような頭のいい子が育つのか」と聞かれ、娘は私に代わってこう答えました。「ママは私をハーバードに入れようと思って育てたのではなく、きちんとした人間に育てようと思った。それがたまたまハーバードに通用しただけです」。

娘は小さい頃から本好きで、私は娘が欲しがる本を惜しみなく与えました。読み終わるといつも、彼女はそのストーリーを私に話して聞かせてくれました。高校生になると、帰宅するなり、その日受けた授業の内容をすべて私に説明してくれた。

大学時代、娘は2冊しか本を買わずに、授業に必要な本はほとんど図書館で読んでいましたが、「ママに話さなくちゃいけないものだと思って読んでいるから、頭の中がすごく整理されていいの」と言っていました。

子どもは日々、成長します。こちらも負けずに成長しないと、すぐに会話がなくなってしまう。私はいつまでも娘と会話をしたかったから、彼女に置いていかれないよう、必死で勉強しました。わからないことがあると、いつも娘と一緒にインターネットで調べていたのです。

私は自分ができないことを娘に「やれ」と言いたくはありません。今後、彼女に子どもができて、私のように専業主婦になりたいと思ったとき、それが決してキャリアの終わりではないとわかってほしかった。そのためにはまず私自身がいくつになっても、専業主婦からでもキャリアを築けることを証明して見せることだと思いました。ママにもできたのだから、あなたならもっと簡単にできる――。娘にそう伝えたかったのです。

次のページ
子ども向けの誕生会を成功させ、チャンスをつかんだ