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障害者が特別でなくなる日 東京パラが20年に開く扉 半世紀前に「東京パラリンピック」があった(5)

2018/1/30

2017年5月の日本選手権では女子選手と男子選手が競り合う場面が見られた(C)STUDIO AUPA

 1964年の東京パラリンピックから半世紀あまり。日本の障害者を取り巻く環境は改善したとはいえ、社会のいたるところに「バリアー」が残っているのも事実だ。2020年の東京パラリンピックはどんなインパクトを日本にもたらし、後世に何を残せるのか。健常者と障害者の混成チームを模索する「日本車いすバスケットボール連盟」の玉川敏彦会長(65)と、パラリンピックを通じた教育活動に取り組んでいるマセソン美季さん(44)に聞いた。

■健常者との混成チームを検討

日本車いすバスケットボール連盟・玉川敏彦会長

 ――車いすバスケットボールは64年の東京パラで「惨敗」しました。20年の東京大会では雪辱を果たしたいという思いが強いのでないですか。

インタビューに答える日本車いすバスケットボール連盟の玉川敏彦会長

 「前回の東京パラは、参加することに意義がありました。そのときに選手として出場していた浜本勝行さんが初代会長となって設立したのが、日本車いすバスケットボール連盟です。浜本さんは障害があっても明るくはつらつとした外国選手を見て、『スポーツには大きな力がある』と考えたそうです。当初は練習場所の確保もままならず、日本選手権を開く費用を捻出するため企業に支援を頼みに回っていました。これまでに先輩たちの、ものすごい努力の積み重ねがありました」

 「20年の東京パラを控えた今は、とても恵まれています。若い選手はそれを当たり前のように感じているかもしれませんが、東京パラが終われば、いま支援してくれている企業もパーッと散っていってしまうかもしれません。盛り上がってきた機運を次につなげるためにも、東京大会では何としても結果を残したい。最低でも6位入賞と考えています」

 ――具体的に、どんなことに取り組んでいますか。

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