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維新のリーダー、西郷さん 2度の「左遷」で覚醒

2018/1/27

東京・上野にある西郷隆盛の銅像

「敬天愛人」を座右の銘にした明治維新の立役者、西郷隆盛(1828~77)は日本人に最も愛されてきた人物のひとりだろう。NHKの大河ドラマ「西郷どん」で改めて注目を集めているが、卓越した決断力と行動力、無私・無欲の性格で、近代日本の扉を開いた。稲盛和夫氏(京セラ名誉会長)など、現代の経済人にも少なからぬ影響を及ぼした。実は2度も遠島処分を受けるなど落差の激しい人生だった。「左遷」をバネに復活していった西郷さんの人間力を探ってみた。

名君、斉彬が西郷を抜てき

薩摩藩の下級武士だった西郷を登用したのは名君、島津斉彬(1809~58)だ。開明的で聡明(そうめい)な人物だった。「西郷隆盛」(ミネルヴァ書房)を著した家近良樹・大阪経済大客員教授は「薩摩はアジア情勢などいち早く把握していた」と指摘する。

斉彬はまず反射炉・溶鉱炉の建設や洋式造船などの殖産事業をおこして藩内の近代化を推進。さらに「外様大名のハンディを乗り越えて幕政・国政に参加していく意欲も持っていたようだ」と「西郷(せご)どんの真実」(日本経済新聞出版社)の著者・安藤優一郎氏は推測している。

薩摩藩の太守として身軽に動けない自分に代わって情報収集、交渉する「御庭役方」というポストを新設し、1854年(安政元年)に西郷を抜てきした。いわば大統領や首相の補佐官のような役職で、身分は低いがトップと直結しているので藩内外への影響力は強い。西郷は「誠忠組」と呼ぶ下級藩士グループのリーダーで、農政に関する意見書を提出したことが斉彬の目に止まったとされている。

マクロ経済にも関心

斉彬は西郷を4回面接したという。西郷は上役からの評判が高くなく、「郡方書役助」という年貢収集の軽職に10年も据え置かれていた。実家は貧しく、厳しい生活を強いられていた。しかし「逆に藩経済の現場を知り尽くして実務能力に長じていた」と安藤氏は分析している。

御庭役方としては水戸藩、福井藩などとの連携から篤姫の大奥こし入れ、一橋慶喜(後の15代将軍、徳川慶喜)の擁立運動などを重要な政策を担当しキャリアを積んだ。斉彬自身からの薫陶を受けたことも大きかったようだ。斉彬は西郷に意見を聞くと「まだそのくらいか」と返してさらに深く考えることを促したという。家近教授は「西郷が当時流行していた攘夷(じょうい)一辺倒の考えから脱却し物事を多面的にみるようになったのは斉彬の影響が大きい」という。

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