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食の達人コラム

米国生まれのバーボン 独自の材料と製法、法律で定義 世界5大ウイスキーの一角・ジャパニーズ(12)

2018/1/26

バーボンはアメリカンウイスキーの一種=PIXTA

 あれは1975~6年ごろだっただろうか。

 店にはラベルとボトル形状が違う様々な種類のウイスキーが突然湧き出したように並べられていた。それらの見慣れないボトルはバーボンだった。行きつけのコンパで、ある日突然バーボンは現れ、私はバーボンを知った。

「コンパ」という業態は、カウンターが回りを囲む大きな浮輪のようなバーがいくつもプールに浮かんでいる感じであった。バーごとに女性バーテンダーが入っており、水割りやハイボールをつくってくれる。いわば、いくつものショットバーが一つのフロアに集まったようなものだ。

 評価が高まる国産ウイスキーへと至るウイスキーの歴史と魅力をひもとく本連載、今回から舞台はアメリカ大陸に移る。バーボンの物語だ。

 大学最終学年になっていた私が週末になると通ったそのコンパは、新宿東口にあった。渡辺真知子の「迷い道」中原理恵の「東京ららばい」庄野真代の「飛んでイスタンブール」などの曲が店内で流れていた。

「昭和」が漂う新宿の飲食街=PIXTA

 それまでの「サントリーウイスキーホワイト」に代えてボトルキープした黄色や黒のラベルのウイスキーを使ってハイボールをつくってもらった。心地よいバニラの香り、甘さはキャラメルのようで何よりもスムーズですいすい飲めた。甘さと爽快さにほほずりしたくなるような親近感を覚えた。黄色いラベルは「アーリータイムズ」、黒っぽいのは「オールドチャーター」、その他「J・W・ダント」や「エンシェントエイジ」があったと記憶している。後に「I・W・ハーパー」や「ブラントン」にもめぐりあった。それは、日本でこれまで数回あったバーボンブームの走りであった。

 一時期熱愛したバーボンだったが、いつの間にか距離ができた。大学院に進学してスコッチに魅入られるようになって、私は徐々にバーボンから離れていった。その後今の会社に就職して、サントリーウイスキーの味わいを高めるため日々格闘していた私には、もうバーボンを飲む機会はなくなっていた。

 新宿のコンパから20年がたった1997年のことだった。あるアメリカのバーボンウイスキーメーカーからの招きで、突然バーボンの蒸溜所を訪問することになった。

 久しぶりにそのメーカーのバーボンを飲んだ。酒はその時々の情景を感情とともに記憶していて、ある日飲み手に返してくれる。この機能において酒に勝るものはない。その中でもウイスキーの記録容量はとても大きく、映像はシャープだ。

 冒頭紹介したヒット曲が耳の底で響き出した。あの頃の日々が映画のようによみがえってくる。そして気が付いた。実は自分がバーボンについて何も知らないことに。アメリカンウイスキーとバーボンウイスキーの違いさえ答えることができなかった。これではあんまりだと、出発までの日々、色々調べ始めた。2度、3度とバーボンを飲んだ。たるの味わいとともに、安心感が広がり、あの頃が戻ってきた。

たる材の成分は熟成する間にバーボンに分け与えられる=PIXTA

 ウイスキーの熟成過程で新だるでの貯蔵が規定されているバーボン、80年~200年生育したホワイトオークの樹が過ごした時間は材成分として蓄えられる。そのたる材の成分はたるで熟成する間にウイスキーに分け与えられる。ウイスキーのアルコール分は、飲み手に向かって酔いを突き付けるのではない。樹の記憶が積み重なった材成分を溶かし出し、飲み手に届ける媒体なのだ。たるの方もその媒体を受け入れるため内面を焼き焦がすことによって、成分が溶け出しやすいようにする。

 樹のひそやかな記憶がバーボンという液体を通して飲み手の体内に入ってくる。樹と同化して時間が置き換わる。優しい思いが満ちてくる。私はここでオルドビス紀(4億8800万~4億4300年前)から石炭紀(3億5900万~2億9900万年前)までに起きた水生生物の陸生化に思いをはせる。陸生化に伴い進化した防御と構築。たる材になる樹々には様々な成分が含まれる。

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