「龍角散」復活 左遷された女性開発者が原動力にヒットの原点 龍角散(上)

役員の評価はさんざんだった服薬補助ゼリー

病に倒れた先代に代わり、藤井氏が龍角散の8代目社長に就任したのは95年のことだ。それからしばらく経ち、福居氏は月に一度の役員が集まる経営会議で、同社としては全く新しいカテゴリーとして服薬補助ゼリーの企画を提案した。

龍角散の服薬補助ゼリーシリーズ

「これはもともと、営業からの依頼で始まった企画でした。店頭で頭痛薬を飲みたい患者さんのために、薬とセットで販売できる水を作ってほしいと言われたんです。ただ、病院に勤務していた経験から、水で薬を飲むとむせたり、のどに詰まったりするケースがあることも知っていました。ゼリーのほうがのどごしもいいし、楽に飲み込むことができると考えたのです」

試作品を持って会議に臨んだが、「なんだ、このべちゃべちゃした気持ち悪いのは」と評価はさんざんだった。諦めずに次の月も、その次の月も福居氏は案を出し続け、「水で薬を飲めない嚥下(えんげ)障害の患者さんもいるのだから」と年配の役員に向かって説明したが、そもそもゼリーを口にしたことがない役員も多く、なかなか意義を理解してもらえなかった。不毛な議論に終止符を打ったのは、「実際に現場を見に行って確かめよう」という藤井社長のひとことだ。

福居氏を伴って、ある介護施設を訪問した藤井社長は、そこで入所者が薬を混ぜたご飯を食べさせられているのを目撃し、衝撃を受けた。薬を飲みたがらない入所者もいるので、しかたがないこととはいえ、これでは食べる楽しみも半減してしまう。帰りの電車の中、藤井社長がこうつぶやいたのを、福居氏は記憶している。「明日は我が身だな」。闘病の末、96年に他界した先代の姿も藤井社長の脳裏をよぎった。

左遷を経験し、「自分に何が足りないか」を考えた

約1年間の開発期間を経て、服薬補助ゼリーの第1号は98年に発売された。当初はあくまで嚥下障害を持つ患者向けだったため、市場はそれほど大きくはなかった。だが、2年後の2000年、服薬を嫌がる子ども向けにイチゴ味の「おくすり飲もうね」(後に「おくすり飲めたね」に改称)を発売すると、これが母親の間で大ヒット。福居氏は一躍、ヒットメーカーになった。

ところが直後の2000年10月、福居氏に思いもよらない工場勤務の辞令が下る。事実上の左遷だ。

社内ではこのころ、古参役員たちの巻き返しが始まっていた。家庭薬メーカーとして「のど」に特化するという方針の下、事業再編に取り組んでいた藤井社長への反発が強まり、福居氏への風当たりも強くなった。工場へ異動した彼女は席が4つある島の真ん中に座らされ、全く仕事をさせてもらえなくなった。

「パソコンを開くことも、本を読むことも許されず、目の前に座っている上司が毎日、『まだ辞めない』『まだいます』と本社の誰かに電話で報告しているのが聞こえてきました」(福居氏)。ストレスで湿疹が出たため、異変に気づいた家族や友人にも『辞めろ』と言われたが、福居氏はへこたれず、辞めもしなかった。

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