元陸上競技選手・為末大さん いつも特別扱いしない母
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は元陸上競技選手の為末大さんだ。
――スポーツベンチャー支援プロジェクトの代表を務めていますが、ビジネスに熱心なのは父親ゆずり?
「父は中国新聞広告社に勤めていました。2003年に亡くなる直前、『為末さんじゃないと意思決定できないから』と会社の人間が病室に話を聞きにきて、とてもうれしそうに答えていたと聞きました。『君がいないと勝てない』と言われれば、僕もアキレスけんが切れそうになっていても走るでしょう」
「父も母も、僕の進学や進路について、何も言いませんでした。法政大学に進んだのは、自由な雰囲気で陸上ができそうだったからです。大阪ガスを辞めたのも事後報告でした」
――地元・広島で元気に暮らす母親の為末さんへの期待は大きかったのでは。
「いえ。その逆で、アドバイスを受けることもなかったし、がんばれとも言わなかった。試合は観に来てくれるのですが、試合に勝っても負けても、帰宅してから試合のことに触れることはなく、黙ってコロッケを揚げているという感じでした。野球マンガ『巨人の星』に出てくる主人公、星飛雄馬の姉・明子のように、いつも黙って陰で見守っていました」
「母は足が速いからと言って息子が特別扱いされることを嫌っていました。僕はクラブ活動の練習には出ていなかったのですが、試合だけ選手として出てくれと言われたことがあります。でも、母はふだん練習している子供たちがいるのだから、あなたは辞退しなさいと強く言うので、辞退しました」
――世界大会でメダルを取ったような特別の日も、お祝いはなかったとか。
「正月や誕生日もお祝いはせず、さらっと日常が流れるという家庭でした。特別なことをするのが得意な家ではなかった。妻が初めて実家を訪ねたとき、あまりに静かな家なので驚いていました。みんなで最初は話をするのですが、その後は静かになるんです。『いまの発言はどんな意味なのだろう』と振り返る時間を、それぞれが持っていたような気がします」
――どんなことがあっても騒いだりしないのですか。
「弾けるような瞬間もあったのですよ。小学校に上がる前、父が公園の噴水の前で『俺がこの中に入ったら、おまえも入るか?』というので『うん』と返事した後、2人で、噴水に入り水浴びを始めたんです。そうしたら周りにいた子供たちも入ってきて、みんなで大騒ぎになりました」
「静かな日常から解放された非日常に、一気に空気が変わる瞬間でした。父はそんな場面転換の面白さを体験させてくれました。亡くなる前に『思うように生きなさい』と僕に言いましたが、自由な生き方を幼いときから教えてくれました」
[日本経済新聞夕刊2018年1月16日付]
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