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庭崎紀代子・セイコーウオッチ取締役執行役員

庭崎紀代子・セイコーウオッチ取締役執行役員

管理職として活躍する女性が仕事やプライベート、働き方への思いを自らつづるコラム「女性管理職が語る」。第3回は、セイコーウオッチ取締役執行役員の庭崎紀代子氏です。

◇  ◇  ◇

私は1986年、男女雇用機会均等法施行の1期生として社会人生活を始めました。私はキャリア志向ではありませんでした。この時はこんなに長く仕事を続けるとは思ってもいませんでした。

当時はバブル経済まっただ中。庶民もブランド品に手が届くようになった時代です。入社した服部セイコー(現セイコーホールディングス)は女子大生の就職先として人気ナンバーワンでした。

配属先は宝飾部。海外ブランドと提携してライセンスジュエリーを企画して国内市場で販売するのが担当業務でした。

入社して感じたのは、長く勤めている女性社員が多くいることでした。まだ女性の就職が「腰掛け」などと言われていましたが、産休などの制度が整い始めていたこともあり、服部セイコーの女性社員の勤続年数は群を抜いて長かったのです。

宝飾(ジュエリー)の世界は、商材が女性の嗜好品のため、多くの女性が活躍していました。時計が原点であるセイコーにおいて、宝飾部はどちらかといえば「傍流」だったことも幸いしたのか、女性社員たちが企画や展示会、営業の交渉にいたるまで生き生きと働いていました。

新入社員だった私もかなり自由にやらせてもらいました。自分がつくったものが流通に受け入れられて消費者に届く。扱うのがリアルな「モノ」であることもあり、手応えを実感できました。

商品を企画することは、商品とともに最前線に立たされることでもあります。経験が乏しい新人でも、会社の代表として自分の言葉で話さなければならない場面があります。このとき、同僚や先輩、上司、取引先、お客様まで、多くの方たちと本音でぶつかりました。それによって私は育てられたのだと思います。

2001年にセイコーウオッチに異動、腕時計の企画部門に配属されました。腕時計の世界には、精密機械であり工業製品という前提があります。すべてにわたって専門性が高く、当初は会議で何が議論されているのかわかりませんでした。

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