箱入りだから、こだわりも出る。
by Takanori Nakamura Volume 10
日本経済新聞の人気コラム「私の履歴書」に遠州茶道宗家の故・小堀宗慶氏が登場したのは、2006年の夏だった。宗慶氏は、学徒出陣し旧満州(現中国東北部)のチチハルで終戦を迎え、その後ソ連軍の捕虜としてシベリアに4年以上も抑留された。「私の履歴書」には、その過酷な体験談がつづられていたが、8月1日の朝刊の文章は私にとって衝撃的だった。宗慶氏は玉音放送を聞いた後、軍の機密処理とともに戦地で愛用し続けた茶かごを自らの意思で燃やしてしまったというのだ――。
文=中村孝則 写真=藤田一浩 スタイリング=石川英治
(1)トランクは雄弁だ。>>
<<(9)男の鉱物、女のジュエル。
茶箱あるいは茶かごは、お点前に必要な茶道具一式を小さな箱やかごに仕込んだミニチュアのセットのことである。これ一式あれば茶室がなくとも茶会ができるので、戸外や旅先でも重宝する。利休が考案したとも伝わるが、自分好みで選び抜かれた愛玩道具を詰め込んだ茶箱は、まさしく茶人の小宇宙だ。
■フェティッシュな執着心も引き写す
ミニチュアであるがゆえに、通常の道具以上にフェティッシュな執着心も引き写す。男であれば一度はミニチュアの世界に熱中した経験はあるのだろうから、その気持ちは理解できると思う。鉄道模型やプラモデル、フィギュアからドールハウスまで、ミニチュアの世界は、今でも大人の男の立派なホビーではないか。
もしかしたら私たちは、物を小さくして手中に収めることで、相対的に自分自身の存在を大きくし、精神までも解き放つことができるのではないだろうか。たとえば、植物のミニチュアともいえる盆栽の醍醐味は、自然の創造者である神の視点をもつことだという。
同じように茶箱や茶かごは、茶道具をダウンサイジングすることで、空間を自由にコントロールし、亭主と客の心の距離感までも縮めることができる。愛玩というフェティシズムを超えて、深い精神世界を見いだすあたり、茶箱は究極のダンディズムの道具だとも思う。
■小さな道具に覚悟と深い愛情を込める
そんな茶人の魂ともいえる茶かごを燃やした心境について宗慶氏は「私の履歴書」でこう告白している。「捕虜になったら、この茶かごはどうなるのか。もし、誰かの手に渡って粗末に扱われでもしたら耐えられない。燃えてゆく茶かごに合掌し、お茶との世界の唯一の絆を自ら断ち切った不幸を思い、いかに自分がお茶に心寄せていたか思い知った」
私も、茶人のはしくれとして自分なりの茶箱を組んでいるけれど、果たしてこれほどの覚悟と深い愛情を込められているのであろうか。物が好きで物を集めているが、そのよこしまな物欲までも小さな箱に収めるのは、なかなかどうして難しい。それでも、苦労して集めた道具を一つ一つ取り出して誰かと一服を分かち合うのは、時空を超えた楽しい瞬間である。
小さい道具でお茶をたてるのははた目以上に難しいが、大の男が小さな箱に奮闘する姿はどことなくユーモラスに映るから、場が自然と和むのがいい。見立てでいいから自前の茶箱を一つあつらえてみてはどうだろう。きっと優れたコミュニケーション・ツールになるはずだから。建前よりお点前で、さりげなく一服お立てすれば、万のプレゼンや世辞よりも、自分を伝えることができるにちがいない。 =おわり
コラムニスト。ファッションからカルチャー、旅や食をテーマに、雑誌やテレビで活躍中。近著に広見護との共著「ザ・シガーライフ」(ヒロミエンタープライズ)など。
[日経回廊 10 2016年11月発行号の記事を再構成]
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