あの帽子は、どこへいったのか。
by Takanori Nakamura Volume 4
ほぼすべてのメンズ・ファッションが実用から生まれているように、帽子も必然性から誕生した男の服飾の象徴だった。帽子は、風や雨やホコリ、寒気や紫外線から頭を守る最強のツールである。少なくとも1950年頃までは、帽子無しで歩き回るのは、社会的なルールに縛られない人間であるということを触れまわるようなものだとされた。
文=中村孝則 写真=藤田一浩 スタイリング=石川英治
(5)結んで、飛来て、蝶ネクタイ。>>
<<(3)万年筆は、千年あたらしい。
その帽子も、60年代から70年代にかけて、潮が引くように男たちの頭から消し去っていった。理由は単純だ。日常生活が便利になったからである。外を長距離歩く必要がなくなり、いつでもシャンプーで洗髪できる環境なら、ホコリから頭を守る必要もないだろう。洗髪が週1回だった時代は、遠い記憶ですらなくなった。整髪料やヘアサロンの進化も追い打ちをかけていると思う。手をかけたヘアスタイルを、誰が帽子で台無しにしようと思うだろうか。
■前髪が帽子を駆逐した
個人的には、最近の男の前髪のトレンドにも関係していると思う。昔にくらべて、おでこを出さずに前髪をおろす男がふえた。前髪は若々しさを演出するにはいいが、帽子には不向きだからだ。ベルンハルト・レッツェル著「GENTLEMAN」(Konemann社刊)では、「帽子のつばから前髪がのぞいているのは、スーツからシャツがはみ出しているようなものだ」という。
もしも、合理性に負けない価値を帽子にみいだすならば、それは"帽子をぬぐ"行為そのものの有効性だろう。変な話、ぬぐために帽子をかぶるのである。トーマス・マンの「魔の山」でハンス・カストルプが、いとこのヨーハムヒ・チームセンに「帽子はかぶっているべきだよ……ぬぐべき時にちゃんとぬげるように」と諭すシーンがある。しかるべきタイミングで帽子をぬぐ。大切な出会いのシーンでゆっくり脱帽することは、ぺこぺこ頭を下げるよりも、よほど敬意を伝えることができる。言葉がおぼつかない海外においても有効だ。ぬいだ帽子を左手で胸にあてて握手をされて、嫌な気分になる人は少ないと思う。
■帽子は口ほどに物をいう
だから僕は、海外出張のときに必ず帽子を持参する。長旅の飛行機では洗髪できないし、気候が違えば思うようにヘアスタイルなんて決まらない。帽子は、何かをとっさに隠すのに便利だし、ホテルについたら逆さまにしてモノ入れにもできる。幸運なことに経験はないが、イザとなったら緊急時のバケツにもなるだろうし、カンパの集金箱にも使えるかもしれない。そんな想像力までも込めて帽子をかぶってみるのもまた、楽しいのである。
ちなみに僕が愛用しているのは、ボルサリーノのフェルト帽だ。創業150年を超えるイタリアの老舗ブランドであるが、日本では1970年に公開された同名の人気映画「ボルサリーノ」のおかげで、ソフト帽の代名詞となっている。4種類のウサギの毛を独自のブレンドで仕上げるソフトなつばは、眉毛よろしく豊かな表情をつくれるのが面白い。帽子は口ほどに物をいうのである。
コラムニスト。ファッションからカルチャー、旅や食をテーマに、雑誌やテレビで活躍中。著書に「名店レシピの巡礼修業」(世界文化社)など。
[日経回廊 4 2015年10月発行号の記事を再構成]
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
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