万年筆は、千年あたらしい。
by Takanori Nakamura Volume 3
男の装飾品のひとつとして、万年筆がふたたび注目されている。人気の理由は、インクを自筆で書く、というアナログ的な魅力だろう。同じ文字を書くにもキーボードをたたくのと、万年筆では大きく違う。ペン先が紙を走る時の手触りや音、インクの濃淡や擦れ、匂い……、大げさにいえば、そこには書き手のリアリズムがある。
文=中村孝則 写真=藤田一浩 スタイリング=石川英治
(4)あの帽子は、どこへいったのか。>>
<<(2)ノー・ナイフ、ノー・ライフ。
文章のスピード感やリズム感、思考の手触りみたいなことは、キーボードより手書きが向いていると言われるが、少なくとも万年筆には、書くことの本質的な喜びが潜んでいる。僕は、旅先にあえて万年筆を持参する。現地の絵はがきに、インクで旅情をつづるためである。
もっとも、僕が注目するのはダンディーなアイテムの象徴としての万年筆だ。最近は、見せるアクセサリーとして、ポケットに忍ばせて楽しんでいる人も多いが、僕も好んで愛用しているイタリア製の万年筆などは、カラフルなボディーのものも多く、いかにも洒脱(しゃだつ)な雰囲気が漂う。ちなみに、あえて見せるパンツのことを「見せパン」というそうだが、見せる万年筆は、さしずめ「見せペン」と呼ぶべきだろうか。
■吉田茂は米国が用意した万年筆を使わなかった
その「見せペン」は、しばしば歴史の見せ場に登場する。かつて吉田茂は、サンフランシスコ講和会議で条約に署名する際、米国側から新品の万年筆を用意されたのだが、わざわざ胸のポケットから、自身の万年筆を出してサインをした。その光景を見た白洲次郎は、両目に涙をあふれさせて感動する。
「(そうだ、じいさん。よくやった!)独立を回復した日本は、再び自分たちの力で国際社会を生き抜いていかねばならない。吉田が自分のペンを使ったということが、いみじくもその意気込みを表しているように思えて心を打ったのである」(『白洲次郎 占領を背負った男』講談社刊)
ところが、吉田の長女、麻生和子は自著「父 吉田茂」(光文社刊)でこのように書いている。「講和条約にサインした万年筆をぜひとも記念にほしかったので、"自分の万年筆でお書きになってちょうだいね"とこっそり念をおしておいたのです」。ことの真相は不明だが、いずれにせよ、万年筆でなければ成り立たないエピソードではある。万年筆は原則的に貸し借り厳禁なアイテムだからだ。
使い込まれた万年筆は、持ち主の筆圧や書きグセに応じて、ペン先が削られている。他人にとっては書きにくいばかりでなく、ヘタをするとペン先の調子まで狂わせてしまうから、共用は不向きなのだ。
■他者とは共有できない それが男の魅力
最近は、クルマや自転車など『シェアリング』するアイテムが増えているし、ソーシャルメディアの発達で欧米では「シェアリング・エコノミー(共有型経済)」という新たな概念すら生まれている。ところが、ダンディズムという美学においては、他人と共有出来ないものを幾つか持っているかが重要であって、男の魅力をはかる普遍的なバロメーターにもなろう。
その象徴が万年筆なのであって、アナログであっても、いやアナログだからこそ、むこう千年、世の中から無くなることはないと思うのである。
コラムニスト。ファッションからカルチャー、旅や食をテーマに、雑誌やテレビで活躍中。著書に「名店レシピの巡礼修業」(世界文化社)など。
[日経回廊 3 2015年8月発行号の記事を再構成]
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
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