「できない」と絶対言わない 天童木工の職人技天童木工(下)

――建築家と組んだ最初の仕事は何だったのでしょうか。

「丹下健三先生(故人)が愛媛県今治市の愛媛県民会館を設計した際、観客席の椅子を手がけたのが最初でした。丹下先生が座面を薄くすることにこだわり、それは成形合板でなければできなかった。その後、同じく丹下先生が設計した静岡県の体育館にも椅子を納入しています。そのような実績の積み重ねが、その後も数多くの公共施設の観客席や家具を手がけることへとつながっていったわけです」

今こそ「天童木工らしさ」の原点に立ち返る

――公共建築に関しては近年、逆風が強く、一般競争入札の拡大で価格が抑えられるなど経営環境としては厳しい状況にあるのではないでしょうか。

ロングセラーになっているリングスツール」

「厳しいことは間違いないです。だから、弊社にしかできない仕事を持たなくてはならない。針葉樹による家具作りもその一つです」

「天童木工らしさの原点は何かといえば、日本で初めて成形合板を家具作りに応用したことです。終戦直後の1947年、弊社は成形合板に必要な高周波発振機を購入しました。機械に目を付けたのは、当時の工場長、加藤徳吉。今でも人気のロングセラー『リングスツール』をデザインしたのも彼です」

「東京の百貨店に展示されていた高周波発振機を見て、加藤が『これは成形合板に使える』とひらめいた。国鉄の初乗り運賃が0.5円という時代、機械は25万円したそうですが、望みを聞いて、当時の社長、大山不二太郎が『工場長のおもちゃだと思って買ってやれ』と言ったそうです」

「社長の決断を聞き、金庫番だった専務も『しょうがない、金を出すか』となった。現場の職人も『社長がそこまで言うのなら、やりましょう』となり、全社一斉に成形合板で家具を作ることに取り組んだ。これはやはり、素晴らしいことだったと思います」

「当時の金額で25万円ですから、今だと7000万円くらいの投資にはなるでしょう。そのような挑戦する気概というか、天童木工らしさを今、スギ材に取り組むことで取り戻しつつある。私としてはそれがうれしいし、投資して正解だったと思っています」

自動車部品を手がけて学んだ品質管理の厳しさ

――家具以外に自動車の内装部品も手がけていますが、これは何がきっかけだったのでしょうか。

「自動車関係は1987年、ホンダさんのコンソールパネルを請け負ったことから始まりました。当初、ホンダさんは木目調に印刷したフィルムを貼ろうと検討したそうですが、当時はまだ印刷技術があまりよくなくて、やはり本物の木を貼りたいということで、間に入った商社さんがあちこち探し回り、弊社に話を持ってきた」

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