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食の達人コラム

スコッチ育む大地 スコットランド、蒸溜所のある風景 世界5大ウイスキーの一角・ジャパニーズ(11)

2018/1/5

PIXTA

スコットランドはローランドとハイランドという2つの地域に分けられる。メインランドと呼ばれる本島の北東から南西に伸びる1本の境界線を想像していただきたい。その線は、面積比で南側に約5分の2、北側には約5分の3を持つ。この線がハイランドラインで、南側はローランド、都市や工業地帯、農業地帯が集まる。線の北側がハイランドで英国最高峰1,323メートルのベン・ネヴィス山を含む山岳地帯が多い。ハイランドと言ってもトーマス・グラバーの出身地であるアバディーン周辺は肥沃で広大な農業地帯である。

評価が高まる国産ウイスキーへと至るウイスキーの歴史と魅力をひもとく本連載、今回はスコッチウイスキーを育む、自然にあふれた蒸留所の風景を探訪する。

留学時代にそのハイランドラインを見に行ったことがある。もちろん、線が引かれているわけではない。それは、西海岸のダンバートンから始まり、東海岸のストーンヘイブンに達する境界断層であった。特にダンバートンから古城で有名なスターリングの先、パースへ至る断層沿いの道は素晴らしい景色の連続だった。そのスターリングから見えたのが蛇行するフォース川であった。北海がエディンバラの玄関・リース港を越えて内陸に深く入り込んだフォース湾に流れ込む川である。この川の左岸がウイスキーの名門であり革命家であったスタイン家そしてヘイグ家が住み、活躍した地域だった。

自然豊かなスコットランド・ハイランドの蒸溜所=PIXTA

その地域を取り囲むように、フォース川の右岸からエディンバラ市内にかけて、左岸もキルコーディーの先まで連続式蒸溜所のベルト地帯が形成されたのであった。また、今日アイリッシュナンバーワンとなったジェムソンの生みの親ジョン・ジェムソンもまたこの地域出身であることは前回紹介した通りである。

ハイランドとローランドの境目であるこの地域がスコッチウイスキーの産業化のけん引役となったことは、単なる偶然ではないような気がする。ハイランドへの近さからハイランドの状況がよく分かったこと。フランドル、オランダ、北ドイツなどとの間で北海交易が行われていたため、それらの地域の先進技術や思想・信条の新たな波が入ってきて、その影響を受けたことが考えられるからである。 

ウイスキーが家内制手工業から装置産業に脱皮する時、連続式蒸溜機を発明したこと。グレーンウイスキーを敵視し、ブレンデッドをかたくなに否定したアイルランドと違い、フランスワインの影響を受けた特別な環境下で手工業の「精粋」として進化したモルトウイスキーを取り込んでブレンデッドを誕生させ、質、量、コストともにスコッチウイスキーの未来を盤石にしたこと。それらの事実を並べてみると、スコットランド、そしてスコッチウイスキーの底力と手強さを改めて感じる。

歴史を物語るグラスゴー大聖堂=PIXTA

ハイランドラインとウイスキーの関連で紹介したい場所が2カ所ある。ハイランドラインの西の端、ダンバートン、そして、グラスゴー郊外のオーヘントッシャン蒸溜所である。

まずダンバートン。ダンはとりで、バートンはブリトン人を指す。ブリトン人はケルト系の土着民族。とりではクライド川の河口にある岩山、ダンバートン・ロックにあった。その切り立った巨岩の形状と頂上からの眺望は正にとりでにふさわしいものだ。しかし、とりでは870年にバイキングによって破壊されてしまう。 

この岩山の眼下に広がるクライド川河口からグラスゴーに向かってさかのぼっていくと見えてくるのが造船所跡。1800年代半ばから終わりまで世界最大の造船量を誇ったグラスゴーの造船所はこのクライド川流域に集積していた。ちなみに日本の造船業は、グラスゴーに学んだものだ。連続式蒸溜所が、ローランドの東で発達したのに対し、造船や機械など重化学工業がグラスゴーを中心に西側で発達したのは面白い。しかし、ウイスキー産業は最終的にはグラスゴーに集積していく。

スコットランド人の「心の故郷」ローモンド湖=PIXTA

ダンバートンの町は実はかつてスコッチウイスキーで最大級の瓶詰量を誇っていた。バランタイン、そしてJ&Bという巨大ブランドの瓶詰が行われていたからである。瓶詰工場だけではない。バランタインの本社もここにあった。開設当時はヨーロッパ最大だったグレーンウイスキー蒸溜所が本社の隣にあった。バランタインのブレンド・瓶詰工場は現在でもスコットランド最大級である。そこで私は1992年~93年、実習の日々を送った。

実習から20年後にダンバートンを訪れた。20年前の実習の時世話になった人が連れて行ってくれた。すっかり変わってしまった本社跡と蒸溜所跡を訪れて感じたのは、過去を振り返っても、ノスタルジーに浸っている暇はないということだ。未来のために今何ができるか? 最近のスコッチ業界でよく聴く言葉である。

ダンバートンの北にはスコットランド人の「心の故郷」ローモンド湖とロッホ・ローモンド&ザ・トロンザックス国立公園がある。境界断層の北側なので、ハイランドに属する。公園内には氷河に削られてできたたくさんの湖がある。その一つにグラスゴー上水道の水がめ、カトリーヌ湖がある。ここの水は褐色ではない。

ハイランド地方の水はウイスキーづくりに適している=PIXTA

ダンバートンからグラスゴーに向かってグレートウェスタンロードを走ると右側にオーヘントッシャン蒸溜所が見えてくる。グラスゴーの西の端、クライド川を見下ろす丘の上にある。仕込水はグラスゴー市水を使っている。つまり、ハイランドの水を仕込みに使い、発酵、蒸溜、たる貯蔵をローランドで行っている蒸溜所だ。スコッチ唯一の完全3回蒸溜蒸溜所でもある。 

もう一つスコッチで唯一なのが、空襲にあったことである。ナチスドイツがダンケルクからの英国軍の大撤退の後、ヨーロッパ戦線への再介入を防ぐため、英国各地を空爆したバトル・オブ・ブリテンの最中の1941年3月、ドイツ空軍の爆撃を受けた。クライド川畔の造船所を破壊するためだったが、蒸溜所が面しているグレートウェスタンロードをクライド川と誤認したドイツ空軍は、蒸溜所を爆撃した。貯蔵庫1棟が炎上し、たるから流れ出たウイスキーがアルコール特有の青い炎を上げる帯となってクライド川に流れ込んだ。

最近完成したクラフト蒸溜所を除けば、ローランドで安定的に稼動している蒸溜所はこことエディンバラ郊外のグレンキンチー蒸溜所、そして西海岸のアイルサ・ベイ蒸溜所だけだ。開設が1817年なので、グレンキンチーの開設より20年早い。アイルサ・ベイの稼動開始はずっと後の2007年である。

オーヘントッシャンモルトは、独特の「とろみ」がある

「オーキー」と呼ばれてきたオーヘントッシャンモルトは、グラスゴーの地ウイスキーとして昔から愛されてきた。この蒸溜所のモルトは軽快だが、独特の「とろみ」がある。深さと広がりがある。ハイランドウォーターのせいかも知れない。

スコッチシリーズの最後に二つの話題を紹介したい。

まず、スモーキーフレーバー。

この香りはピートを燃やす時に出る煙の匂いで、麦芽を乾燥させる過程でたきしめる。草炭と呼ばれるピートだが、全く炭化はしていない。一言で言えば植物が嫌気的に分解したものだ。どのような植物が生育していたか、分解の程度はどうかで、煙の匂いが違ってくる。それに加え、麦芽の乾燥過程のどの辺りでたくか、煙の量はどの程度かなどでスモーキーの強さが違ってくる。

同じアイラ島の蒸溜所でも、ラフロイグとボウモアのスモーキーの香りが異なるのは、ピートを掘り出す場所(ピートボックという)が違うからだ。ラフロイグのピートボックの方が海に近い。ピートのたき方も、ラフロイグは独特の方法を確立している。

スコットランドのピートの露天掘り=PIXTA

東ハイランドのアードモアのピートはコケなどが少なく、植物体が多いと言われている。スモーキーは大地の恵みの一つである。香り、味わい、後口の味・余韻をじっくり追いかけて行くと、そのスモーキーが生まれた原風景が浮かんでくることがあり、楽しめる。私は、スモーキーモルトの持つ後口のキレ、爽快感も好きだ。

スコッチの話の最後は、スコッチとフランスの、その後の関係。

様々な影響をスコッチウイスキーにもたらしたフランスワイン、ブレンデッドウイスキーを誕生させたアンドリュー・アッシャーを始め、銘ブレンドを生んだ多くのブレンダーがエディンバラ郊外の貿易港リースでフランスワインを扱うワイン商を営んでいた。

そのフランスワインの落し児のようなスコッチに特に大きな影響を与えたのがフィロキセラ(ブドウ根アブラムシ)禍である。1860年代から30年間、このアメリカから広まった害虫に耐性の無いヨーロッパ産ブドウは大きな被害を受け、ワインやブランデーの出荷量が激減した。特にフランスは最大の被害を受けた。しかしそれは勃興期のスコッチブレンデッドウイスキーにとって干天の慈雨ともいうべき幸運だった。

北米のウイスキーやジンを始め、穀類の様々なスピリッツ、そしてラムもあるのに、スコッチウイスキーが大勝ちできたのは、グレーンウイスキーを使うブレンデッドにより品質、量、コストともに圧倒的な競争力があったからだ。モルトだけであればどこまで対応できたか分からない。そのブレンデッドの普及にワインとブランデーの欠場は思わぬ幸せであった。

北米のウイスキーやジン、ラムをしのぐスコッチ=PIXTA

スコットランドに多大な影響を残したオールドアライアンスとスコットランドの特権に終焉(しゅうえん)が来る。1560年のことだった。原因はスコットランドの宗教改革によるプロテスタント化、同君連合の成立などスコットランド側の事情であり、王室の浪費、度重なる戦争に伴うフランスの財政悪化である。フランスには同盟継続の理由も余裕も希薄になったのである。

しかし、同盟がなくなった後もスコットランドとフランスの関係は残る。1688年の名誉革命で、イングランド・スコットランド連合王のジェームズ2世が追放され、娘であるメアリーと夫で2世のおいのオランダ総督ウィレム3世をオランダから招へい、メアリー2世・ウィリアム3世として即位する。

しかし、スコットランドでは、追放されたジェームズ2世がスコットランド出身のスチュアート王家の直系男子であったことに加え、1707年のイングランド・スコットランド連合王国成立以降のスコットランド側の不満の高まりもあり、ジェームズ2世の正嫡(男系子孫)のイングランド王への復位を期する声がスコットランドで高まる。

この「反革命勢力」を積極的に支援したのが、フランス王ルイ14世だった。しかし、結局反革命の動きは、1745年のイングランド軍による苛烈な鎮圧をもって終息する。

今でもフランス人は、「アングルテール(フランス語のイングランド)」より「エコッセ(同スコットランド)」に親近感を持っている。スコットランド留学時代に見たサッカーやラグビーのイングランド-フランス戦での応援風景は、如実にそのことを物語っていた。一方フランスにおけるスコッチウイスキーの消費の伸びは目を見張るものがある。

オーヘントッシャンの「スリーウッド」

今回お奨めするウイスキーは「オーキー」ことオーヘントッシャンの「スリーウッド」。バーボン樽、オロロソシェリー樽、ペドロヒメネスシェリー樽の3種類のたるで熟成したモルトだ。

オレンジのように軽い感じからレーズンのような重い感じまで様々な果実香味、そして、バニラ様からチョコレート様まで様々なたる香が楽しめる。しかもスムーズな口当たりと上品な甘さの長い余韻が続く。アイリッシュウイスキーとは全く異なる3回蒸溜の味である。

ぜひ、ストレート、オンザロック、水割り、ソーダ割りのそれぞれの飲み方で味わってほしい。

(サントリースピリッツ社専任シニアスペシャリスト=ウイスキー 三鍋昌春)


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