鳥はなぜ大切か 人間の価値観を問う「小さな恐竜」
2018年は、米国で渡り鳥保護条約法が制定されてからちょうど100年になる。この法律の制定100周年を記念して、ナショナル ジオグラフィックは2018年、鳥をテーマにしたさまざまな記事をお届けする。その皮切りとして、「鳥はなぜ大切なのか?」という問いについて考えてみたい。
まず挙げたいのは、鳥たちが生息する領域の途方もない広大さだ。世界にいる1万種ほどの鳥は、さまざまな環境に適応するため、驚くほど多様な形態に進化を遂げてきた。体の大きさも千差万別で、アフリカに広く分布するダチョウは大きいものでは体高が2.5メートルを超えるが、キューバにしかいないマメハチドリはその名の通りハチぐらいの大きさしかない。ペリカンやオオハシのように大きな嘴をもつ鳥もいれば、コバシムシクイのようなおちょぼ口の鳥もいる。
行動も多様だ。社交的な鳥もいれば、孤独を好む鳥もいる。コウヨウチョウやフラミンゴは何百万羽もの群れをなし、インコは小枝を集めて手の込んだ大きな巣を作る。一方で、カワガラスは単独で山の渓流に潜り、ワタリアホウドリは翼開長が3メートルにもなる大きな翼を広げて、独りで悠々と大空に舞う。水深200メートルまで潜水できるハシブトウミガラスのような鳥がいるかと思えば、ハヤブサは時速400キロ近い猛スピードで空から降りてくる。
鳥は見た目こそ人間と似ても似つかないが、見方によってはほかの哺乳類よりも人間に近い。手の込んだマイホームを作ってそこで子育てするし、冬には温暖な地域で過ごす。シロビタイムジオウムは鋭い洞察力の持ち主で、チンパンジーも苦戦するような複雑なパズルを解く。カラスは遊びが大好きだ。動画投稿サイトYouTubeで見つけた動画では、ロシアのカラスがプラスチック容器の蓋をそり代わりにして雪の積もった屋根をすべり下り、蓋をくわえて飛んで戻ると、再び滑降を楽しんでいた。そして、世界を歌声で満たすのも、鳥と人間だけだ。
ただし人間にあって、鳥にない重要な能力が一つある。環境を制御する能力だ。鳥は湿地を保全できないし、漁場を管理することもできない。人類が地球環境を急速に改変している今、大半の鳥の未来は人間が保護に本腰を入れるかどうかにかかっている。わざわざ保護するほど、鳥は人間にとって価値ある生き物だろうか。
鳥より人間のほうが大事?
人間の活動が地球環境に大きな影響を及ぼしている今、「価値」といえばほぼ経済的な価値を意味し、人間にとっての有用性ばかりが問題にされる。その点から見ると、多くの野鳥が食用として役に立つし、一部の鳥は害虫やネズミなどの害獣を食べてくれる。植物の受粉を助けたり、種子を遠くに運んだり、肉食の哺乳類に食べられたりと、生態系の中で不可欠な役割を果たす鳥も多い。とはいえ、残念ながら、鳥は人間の経済にそれほど役立つわけではない。逆に、果樹園の果実を食い荒らして損失をもたらすこともある。
むしろ鳥の個体数は、私たちの倫理的な価値観の健全性を示す指標になるのではないか。なぜ野鳥は大切なのか。その理由の一つとして、人工的な環境で暮らす私たちにとって、鳥は自然に触れる機会を与えてくれる最後の、そして最高の存在だということがある。
鳥ほど広い範囲に分布し、人類が誕生する以前の地球の姿を生き生きと伝えてくれる生物はほかにいない。鳥は恐竜と共通の祖先をもち、現代の環境に見事に適応して生きている「小さな恐竜」ともいえる。現代の池にいるカモは、鳥類が地球を支配していた2000万年前のカモと、姿も鳴き声もほとんど変わっていない。
翼のないドローン(小型無人機)が無数に飛び回り、人々がスマートフォンに熱中するこの世界では、自然界のかつての覇者である鳥を慈しんだり、保護したりする合理的な必要性などないかのようだ。しかし、経済的な得失は最も重要な基準だろうか。鳥を見捨てることは、人間も自然の一部だという事実を忘れることにならないか。
(文 ジョナサン・フランゼン、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 2018年1月号の記事を再構成]
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