ベルリン・フィル初「座付き作曲家」、アダムズの記録
クラシックディスク・今月の3点
アラン・ギルバート、グスターヴォ・ドゥダメル、キリル・ペトレンコ、サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、リーラ・ジョゼフォヴィッツ(ヴァイオリン)、ゲオルク・ニーグル(バリトン)、ケリー・オコーナー(メゾソプラノ)ほか
2016/17年のシーズン、ベルリン・フィルは芸術監督・首席指揮者ラトルの発案により、134年の歴史で初めて「コンポーザー・イン・レジデンス」(座付き作曲家)を迎えた。現代のドイツ楽壇は同時代の音楽に好意的だし、欧州連合(EU)圏にも気鋭の作曲家が大勢いるにもかかわらず、ラトルとフィルハーモニカー(楽員)が招いたのは米国人で、政治的にも非常に明確な態度を表明してきたジョン・アダムズ。その生誕70周年を祝う催しにもなった。
ニューイングランド地方に生まれ、ハーバード大学でシェーンベルクの流れをくむキルヒナーに作曲を師事。祖父がダンスホールを経営していた縁でジャズ、ポップミュージックにも傾倒、ベトナム反戦運動に加わりながら「昼は12音技法を学び、夜はビートルズを聴く」という学生時代を過ごした。1972年に東海岸の生活に見切りをつけて以来、一貫して西海岸を本拠に世界的評価を高めてきた。
アダムズは、ひとつ前の世代の米国人作曲家で際だったミニマルミュージック(音の動きを最小限に抑え、パターン化された音型を反復させる音楽)の影響下に出発した。だが台本作家で演出家のピーター・セラーズらとの共同作業を通じて幅広い世界の問題点に目を向け、時にはオペラや宗教曲などの劇的表現をとりながら、より多様で普遍的な作風を究め、聴衆の支持を広げてきたといえる。
中でも聖母とは異なる「もうひとりのマリア」であるマグダラのマリアの側からキリストの受難を語るオラトリオ「もうひとりのマリアの福音書」(セラーズ台本)は大編成の管弦楽、合唱、マグダラのマリア役のメゾソプラノ、受難曲における福音史家の役割を担う3人のカウンターテナーら6人の独唱者を伴う記念碑的な作品。ドゥダメル指揮ロサンゼルス・フィルによる12年の世界初演はドイツ・グラモフォン(DG)がDVDに収めたが、日本未発売。今回、17年1月にベルリンでライブ収録したラトル指揮のCD、ブルーレイが初の国内盤に当たり、洗練・鮮烈を極めた演奏で魅了する。
さらに指揮者としてもベルリン・フィルへのデビューを飾ったアダムズ自作自演による「ハルモニーレーレ(和声学)」、フェミニズムにちなむ「ヴァイオリンと管弦楽のための劇的交響曲《シェヘラザード.2》」(ジョゼフォヴィッツ独奏)、ギルバート指揮で「管弦楽のためのファンファーレ《ショート・ライド・イン・ア・ファスト・マシーン》」「管弦楽のための《ロラパルーザ》」、ドゥダメル指揮で「管弦楽のための《シティ・ノワール》」、ベルリンでラトルの後任シェフに決まったペトレンコ指揮で「バリトンと管弦楽のための《ウンド・ドレッサー》」(ニーグル独唱)と、豪華な顔触れ。最高の技量で同時代の音楽に血肉を与え、客席をぐいぐい巻き込んでいくフィルハーモニカーの献身も特筆に値する。
かつてのベルリン・フィルは、アメリカ音楽の熱心な紹介者ではなかった。とりわけ「帝王」と呼ばれたヘルベルト・フォン・カラヤンが終身指揮者・芸術監督だった時期(55~89年)は、米国人指揮者で作曲家のレナード・バーンスタインへの強烈な対抗意識もあってか演奏機会は乏しく、ラトルによるアダムズ特集の成功には、隔世の感がある。17年11月、ベルリン・フィルとの最後のツアーで来日したラトルの記者会見で、バーンスタインについて質問した。
「来年(18年)はバーンスタインの生誕100年だが、生前はベルリンに君臨したカラヤンの『不倶戴天(ふぐたいてん)の敵』だった。それでも何か、特別な記念行事はあるのか?」
ラトルは「わっはっは」と大笑いした後、英国人らしいブラックユーモアもこめつつ、アニバーサリー(記念年)の計画を語った。
「バーンスタインをライバルと思っていたのはフィルハーモニカーではなく、カラヤン個人だった。楽団がお構いなくバーンスタインを招き、マーラーの『交響曲第9番』で大成功を収めると、カラヤンは同じ曲を2度も録音し、マーラーの深いところへと入っていった。半面、バーンスタインが2度と呼ばれなかったのは事実だ」
「もう1つの背景は、バーンスタインの作曲が60年代には『時代遅れ』と批判されがちだったこと。60年近くが経過した今、人々は時代と様式のズレを気にすることなく、バーンスタインの音楽にこめられたメッセージを受け取ることができる。自分は現時点の米国社会の状況に対しても意味を持つであろう政治的作品の『ホワイトハウス・カンタータ』のほか、クリスティアン・ツィメルマンをピアノ独奏に起用する『交響曲第2番《不安の時代》』、ジルヴェスター(大みそか)コンサート用に『オン・ザ・タウン』組曲を指揮する。ドゥダメルもベルリン・フィルとのツアーに、バーンスタイン作品をいくつか携えていく。これならバーンスタインも、喜んでくれると思う」
首都圏3公演だけだった今回の日本ツアー。終演後の楽員サイン会は約1万4千円する「アダムズ・エディション」の会場購入者限定だった。渾身(こんしん)の高音質自主レコーディングを何が何でも売りさばこうと、AKB48の握手会並みの強硬策に打って出た「天下のベルリン・フィル」の大胆不敵! アダムズの音源が日本の音楽史上、最も売れた3日間であったことは間違いなく、同時代音楽の普及策にも一石を投じる結果となった。(ベルリン・フィル・レコーディングス=輸入元はキングインターナショナル)
ヴァレリー・ポリャンスキー指揮ロシア国立交響楽団《シンフォニック・カペレ》
17年秋にはベルリン・フィルのほか、ボストン交響楽団、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団など世界屈指のオーケストラが相次ぎ来日した。ポリャンスキー率いるロシア国立響《シンフォニック・カペレ》は強豪ひしめく中にあっても独自の音響世界、ロシア音楽の伝統を体現した解釈で一歩も引けを取らなかった。詳細は音楽評論家・片山杜秀氏が5ページにわたって書き下ろした解説に譲るが、合唱指揮者として頭角を現したポリャンスキーはモスクワ音楽院室内合唱団を世界的団体に育ててシンフォニック・カペレと改名した後、旧ソ連時代にゲンナジ・ロジェストヴェンスキーが創設した国立文化省交響楽団をオーケストラ部門として糾合、ロシア音楽の根幹をなす礼拝堂(カペレ)合唱団の伝統と管弦楽を一体にした演奏活動を繰り広げているという。
チャイコフスキーの後期3大交響曲を一晩で演奏する重量級コンサートは今や、このコンビの日本ツアーで最大の売り物となり、15年に続き、17年も披露された。CDは15年7月18日、池袋の東京芸術劇場コンサートホールでの公演をそのまま収めたライブで、レコーディングプロデューサーの西脇義訓、バランスエンジニアーの福井末憲の名コンビによるDSD(ダイレクト・ストリーム・デジタル)方式の優秀録音だ。
ポリャンスキーは分厚い管弦楽にからむ複雑な音の線(声部)の一つ一つを丹念に織り上げ、美しい和声の音楽に仕上げるとともに、「ここぞ」という場面で、ロシア人以外には考えられないようなアクセントを与えていく。管楽器を中心に高い技量を持つアンサンブルも「爆音」では勝負せず、表現の繊細さを基本とする。柔らかく、深く、聴く者の心にしみ込んでいくようなチャイコフスキーである。(N&F=販売元はユニバーサル)
フジコ・ヘミング(ピアノ)、マリオ・コシック指揮ブラティスラヴァ交響楽団
20世紀の終わり、99年にNHKのドキュメンタリー番組によって奇跡のカムバックを果たしたヘミング(デビュー当時は大月富士子と名乗っていた)は今年12月5日、85歳の誕生日を祝った。過酷な半生や聴覚障害、周囲とのあつれきなど、音楽以外の話題が前面に出がちだが、ヘミングの演奏に日本の大衆(必ずしもクラシック音楽の熱心な聴き手ではない)が癒やされ、殺到する理由は「音」と「語り」の素晴らしさに尽きる。
深く、厚みのある暖色系の音は日本で亡くなったサンクトペテルブルク生まれのユダヤ系ドイツ人ピアニスト、レオニード・クロイツァーから授けられた。むやみに鍵盤をたたかず、ゆっくり、深く押し込む奏法は、20世紀前半までのドイツで一般的だった。これを土台に楽譜を究め、祖母が「おとぎ話をゆっくり、読んで聞かせる」かのように音楽をじっくりと再現していく手腕の確かさにおいて、ヘミングは今も堂々、現役一線のピアニストなのである。
18年前のカムバックの1曲は、リストの「パガニーニ大練習曲」第3番「ラ・カンパネラ(鐘)」。これは「お約束」として、ヘミングの自主レーベル「ダギー」の音源(15年4月26日、軽井沢大賀ホールのライブ録音)をアルバムの最後に、アンコール代わりで再利用している。他はすべて17年9月20~22日、スロヴァキアの首都ブラティスラヴァのドヴォラーナ・ホールでカメラータ・トウキョウの創業者、井阪紘が自らのプロデュースで収めた新録音である。メインのリストの「協奏曲第2番」は派手にトライアングルが活躍する第1番に比べると「夜の音楽」の趣きがあり、語りくちのうまさも求められるので、今のヘミングに良く合った作品。コシック指揮ブラティスラヴァ響の落ち着いた響きも得て、本領を十分に発揮している。(カメラータ・トウキョウ)
(コンテンツ編集部 池田卓夫)
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