歌手・丘みどりさん 母の死、父のひと言に救われ
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は歌手の丘みどりさんだ。
――「民謡の天才少女」と呼ばれていたそうですね。
「小学校5年生のとき、兵庫県の民謡大会で優勝しました。大会最年少でした。5歳から地元・姫路市の民謡教室に通い、民謡が盛んな秋田から岡山へ来る先生のもとに通いもしました。人見知りが激しい私を心配した母が、人前に出る機会を増やそうと、祖母といっしょに民謡教室に行かせたのが始まりです」
「家の中ではいつも音楽が流れていました。民謡を習っていたせいもあるのでしょうか、演歌に興味を持ちました。3歳のときには島倉千代子さんの『人生いろいろ』を歌っていました。初めて買ってもらったCDが鳥羽一郎さんの『兄弟船』。近くのホールでコンサートをするのは演歌歌手が多かった。かっこよさに憧れました」
――それが、18歳でアイドルとしてデビューしました。
「父は公務員、母は主婦。演歌歌手になろうとしても、周りに芸能人はいない。とりあえず芸能界に入ろうと、アイドルのオーディションに応募したら合格し、活動を始めました。でも、アイドルは向いていない。自分は演歌歌手になるんだと専門学校に通って、発声など基礎からやり直しました。そんなときカラオケ番組に出演したのが大阪の演歌歌手の事務所の目に留まり、2005年に演歌歌手としてデビューできました」
「ところが、まもなく母にがんが見つかったんです。母の看病のために、芸能活動を一時、中止しました。母が亡くなったのは06年です。演歌歌手になったのを喜んでくれた母です。どんな衣装にするか、舞台で何をしゃべったらいいのかなど相談もしていました。母の死去でもう何もかもがいやになり、投げやりな気持ちになりました」
――お父さんのひと言が支えになったのですね。
「父に歌手をやめたいと打ち明けると『帰っておいで』と言われ、実家に帰ったんですね。そこで怒られたりしたら反発したかもしれませんが、『みーちゃん、何とかなるやろ』と励まされたんです。続けようと決意しました」
「ただ、人生、甘くはない。デビュー10年、30歳になってもヒット曲に恵まれませんでした。『やらずに後悔するよりもやって後悔する人生を送ってほしい』という母の言葉を胸に頑張りました」
――16年にブレークし、この年末のNHK紅白歌合戦に初出場します。
「天国の母との約束が、ようやく果たせるという気持ちですね。父も喜んでくれています。父は私が出演した番組をすべてビデオにとってくれていて、そのたびに『すごく良かった』などと(無料対話アプリの)LINEや電話で褒めてくれます。それが、自分でも満足したときと一致するんです。よく分かってくれているんですね」
[日本経済新聞夕刊2017年12月19日付]
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