不寛容・虚妄の連鎖と闘う言葉 2017年演劇回顧

昨年の成果で演劇賞を総ざらいしたケラリーノ・サンドロヴィッチはキッチュな笑いを追求した。シアターコクーンで作・演出した『陥没』では失われた高度成長時代の夢を笑いに宿らせ、主宰のナイロン100℃の『ちょっと、まってください』では別役実へのオマージュとして不条理コントの似姿をつくってみせた。

公共劇場、問われる芸術性

劇団や劇場の制作とは異なるプロデュース公演が盛んになってきたのは、今世紀に入ってから。集団の垣根を越えて自由な創作が盛んになると期待されたが、近年は人気タレント頼みの集客手法が顕著になっている。ユニークな娯楽作が生まれている半面、薄っぺらな演技に失望することも多い。税で支える公共劇場はそうした潮流と一線を画し、演劇の芸術性とは何か、改めて見直してほしい。

中では東京芸術劇場がルーマニアの鬼才シルヴィウ・プルカレーテを演出に招き、シェークスピアの『リチャード三世』を残酷な悪夢の演劇に仕立てたのが際だった成果だった。イヴォ・ヴァン・ホーヴェ演出のシェークスピア劇『オセロー』の招へい、野田秀樹作・演出の英語劇など意欲的な企画が続いた。

世田谷パブリック・シアターは開場20周年にあたり、戦後演劇の大作『子午線の祀(まつ)り』を芸術監督、野村萬斎の新演出で上演した。古語と現代語、伝統演劇と現代演劇、それらを混合させる木下順二の「群唱」によるドラマは上演ごとに生まれ変わるが、今回は俳優の身ぶりによってテキストをときほぐす試みが際だっていた。演出者と主演者が兼ねられたため狂言に大きく寄った舞台になった点に賛否は別れようが、公共劇場の雄にふさわしい企画だった。このほか、韓国の鬼才ヤン・ジョンウンを演出に招いて日韓の俳優が上演した『ペール・ギュント』(イプセン作)、サンクトペテルブルク・マールイ・ドラマ劇場の28年ぶりの来日公演『たくらみと恋』(シラー作、レフ・ドージン演出)なども意欲的な企画だったといえる。

神奈川芸術劇場は芸術監督の白井晃が思春期の不安な性を題材としたヴェデキントの名作『春のめざめ』で、若い俳優たちを相手に即興的演出の妙をみせた。即興演劇から出発しているこの演出家は、自在に試行錯誤を重ねられる集団と組んだとき本領を発揮するだろう。蜷川幸雄没後、芸術監督不在の彩の国さいたま芸術劇場は英国の劇場と連携し、高齢者演劇など社会問題を見すえた運営を模索しはじめた。まさに社会を映す鏡としての、新しい劇場像を築けるかどうか。

見逃せぬ歌舞伎の至芸

最後に伝統演劇に触れておこう。江戸文化の象徴といえる歌舞伎は、近代の荒波を名優たちの創意と工夫によって越えてきた。営々と受け継がれてきた名優たちの芸を肌身で知る世代が今、最後の花を咲かせている。吉右衛門、仁左衛門、玉三郎らは体力の限りを尽くし、一期一会の舞台を懸命につとめている。その至芸を味わいたい人は劇場へ足を運んでほしい。

秀山祭の『極付 幡随院長兵衛』で吉右衛門の長兵衛がみせた子を思う切実な情愛。『仮名手本忠臣蔵』の勘平で東西の型を取り入れ、なお独自の味わいを加えた仁左衛門。舞踊『楊貴妃』(12月26日まで、歌舞伎座で上演中)で日本画の線のような洗練、柳の葉をかすかに揺らす微風を思わせた玉三郎。これらの達成は次世代にどう手渡されるだろうか。

世代交代の進む文楽では英太夫改め呂太夫が誕生。中堅クラスの太夫に進境が見えるのが心強く、咲太夫の緻密な技巧が深みを増して健在だ。勘十郎、玉男ら人形陣も元気。成長ぶりが感じられる観劇は楽しいものだ。今が正念場だから、観客としては客席を埋めて見守りたいところだ。

能楽では最大流派の観世流が本拠の能楽堂を渋谷の松濤から銀座に移した。宗家の観世清和が伝統文化の発信に意欲的なだけに、立地の良さを生かしたい。友枝昭世の『松風』(友枝会)、『道成寺』の原曲に深い解釈をみせた浅見真州の『鐘巻』(浅見真州の会)、ともに情念の演劇化という現代の表現を感じさせる秀逸な舞台だった。

(編集委員 内田洋一)

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