キャスター・丸岡いずみさん うつ病がもたらした絆
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はキャスターの丸岡いずみさんだ。
――うつ病にかかったことが人生の転機になったそうですね。
「報道は学生時代から就きたかった仕事で、キャスターとしてあちこち飛び回ることに生きがいを感じていました。ところが東日本大震災の凄惨な現場の取材を寝る間も惜しんで続けるうちに、原因不明の湿疹や下痢に悩まされることに。仕事への意欲はまったく衰えなかったため、最初は体調不良なんだと思っていました」
「同じ年の8月になると一睡もできない日々が続き、原稿を読むのもおぼつかなくなるほど症状が悪化。仕事を休む決断をしました。うつ病患者は1人でいると自殺する可能性があるという恐怖感から、翌日の昼には徳島県の両親の元へ向かっていました。キャスターとしてのプライドに加え、週刊誌に追い回されたこともあり、心の病は徳島に戻ってからむしろ悪化しました」
――両親はどう受け止めたのですか。
「ある日突然、娘が帰ってきて、昼間からカーテンを閉め切って生活している。親にとっては、さぞかしショックでお荷物なのではないかと思いました。ところが、2人とも病気に対して冷静でした。母は久しぶりに家族そろって3度の食事を食べられて幸せだったそうです。いつも精神科に同行してくれた父は、長生きして私の面倒をずっと見続けるつもりだったらしいです」
――お父さんはもともとどんな人なのでしょうか。
「実家のある美馬市は日本一の清流に選ばれたことがある、穴吹川が流れる恵まれた環境です。農家の息子として生まれた父は野菜や果物の栽培に精通していました。種をまいてから実を収穫するまで何カ月もかかるのですが、相手は植物だからじたばたしてもダメ。のんびり待っているしかない。そんな時間の流れを体現している人です」
――快復して、家族の生活は以前と大きく変わったと聞きました。
「それまでは仕事一筋の人生で、自分が将来結婚することになるなんて夢にも思っていませんでした。そんな生き方を強制的に終わらせたのがうつ病でした。何者でもなくなった自分を大切にしてくれる家族や友人。仕事以外にも大切なことがあるんだという気持ちになりました。結婚して自分の家族を築きたいと思ったのも、そうした変化の一つです」
「あんなに元気だった父は3月に他界しました。最期は私の手を握りながら静かに息を引き取りました。報道の仕事を続けていたら海外のどこかで取材をしていて、父の最期をみとることはできなかったかもしれません。出口が見えないときは苦しかったうつ病ですが、人生はかえって豊かなものになりました」
[日本経済新聞夕刊2017年12月12日付]
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