残念な英雄ハンニバル 「象でアルプス越え」の失策度失敗だらけの人類史

日経ナショナル ジオグラフィック社

ナショナルジオグラフィック日本版

アルプス山脈を越えるハンニバル軍を描いた19世紀の木版画(Heinrich Leutemann)

人類の歴史は「失敗の歴史」ともいえる。しかもその失敗の多くは、優秀で善意に満ちた人々が、肝心なときに大事な判断を誤ったために引き起こされている。たった一つの選択の誤りが、国や民族の行く末、さらには世界の運命を変えてしまったこともある。

ナショナル ジオグラフィックの書籍『失敗だらけの人類史 英雄たちの残念な決断』は、そのような歴史的な「失敗」の数々を取り上げ、何を間違ったのか、その結果どうなったのかを解説する本だ。古代から現代に至る多数の失敗談を読み解いていくと、繰り返される人類の愚行に絶句するとともに、私たちが今後いかに生きるべきかを学ぶことになるだろう。

ここでは同書から、「象でアルプスを越えた英雄」として有名な名将ハンニバルの物語を紹介したい。傲慢さと性急さから判断を誤り、ローマ征服という野望を達成できなかった人物である。

ローマとの戦い

ハンニバルは紀元前247年、ローマによる征服の危機に瀕していたカルタゴ(現在のチュニジアの首都、チュニスの近く)で生まれた。偉大な交易国にして海洋国家だったローマは、海上でカルタゴ人と渡り合う戦法を編み出し、カルタゴ領だったシチリア、コルシカ、サルディニアの各島を手中に収めていた。

10歳になったハンニバルはカルタゴの将軍である父ハミルカルに連れられスペインのカルタゴ領に渡る。そこでハミルカル将軍は、現在のカルタヘナを含む新しい領土を次々に獲得。スペインで成長したハンニバルは、イベリア人の王女と結婚した。

ハミルカルの死後しばらくして、ハンニバルは22歳の若さでスペインにおけるカルタゴ軍の司令官に選出された。そして大胆にもスペイン西部の都市サマランカを攻め、これを占領。次いで、イベリア半島をすばやく横断してローマの主要都市の一つサグントゥムを包囲、陥落させる。これを受け、ローマはカルタゴに宣戦布告、第二次ポエニ戦争が始まった。

ハンニバルはイタリアに遠征し、そこで敵を叩くことを決断する。が、ローマ方はイタリア本土に侵入するルートが3つしかないことを知っていた。そのうち海上ルートはすべて自分たちが押さえている。陸路は長大な距離を踏破しなければならない。そして、アルプスを越える第三のルートは攻略不可能と考えていた。

しかし紀元前218年、ハンニバルはアルプスを突っ切ってローマに侵攻することを決断。5万の兵、9千頭の軍馬と荷役動物、それに37頭の戦象を従えてカルタヘナを出発する。彼がどのルートをたどったのか、確実な説はいまだにない。だが、行軍ルートについてほとんど情報のないまま駒を進めたのは、いかにもハンニバルらしい。ハンニバルの性急さはカルタゴ軍に勝利ももたらしたが、同時に最終的な失敗の種子にもなった。

アルプス越えの途中、ハンニバルは兵の半数と軍馬や荷役動物の大半を失う致命的なミスを犯し、肝心なローマ攻略が不可能になった。彼は敵地に攻め込んだ優位を生かすことができず、15年間にわたってイタリアの田園地帯を荒廃させたすえ、カルタゴ防衛のためアフリカに戻ることを余儀なくされる。そして最後は、ザマの戦いにおいてスキピオ・アフリカヌスに完敗を喫した。

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