「外様リーダー」がなぜ一番出世 井伊直政の外交術

関ケ原合戦での小早川秀秋の寝返り、西軍で毛利方の吉川広家の不戦など東軍勝利に決定的な案件は、直政と黒田長政の連携プレーでなし遂げたことが知られている。関ケ原の戦い前に直政は病気で不調だった。戦場では島津勢のために重傷を負った。

井伊家の居城となった彦根城(滋賀県彦根市)

それでも対毛利、島津、真田などの重要な戦後処理は直政が担当した。相手方の立場を重視する外交術は、自分を負傷させた島津家に対してまで領地安堵の方向で協議を進めていった。

直政と似た人物を挙げるとすれば信長の家臣時代の羽柴秀吉かもしれない。いずれもカリスマ的なトップ自らの手によって仕事のやり方を教わり、オン・ザ・ジョブの形で次々に任務を与えられ、自分のスキルを成長させていった。交渉能力に優れ、最終的なスキルの高さは全国統治が可能と評価されるまでに至った。

ある意味では直政も秀吉も戦国カリスマの生きた作品であったかもしれない。両者の違いは名門の末裔(まつえい)と下層階級の出身、結局主家の権力を簒奪(さんだつ)した秀吉に対して最後まで忠節を尽くした直政という点くらいだ。

トヨタも外部人材次々登用

早稲田大学ビジネススクールの入山章栄准教授は、「家康の直政抜てきのようなケースは現代のファミリー企業でもみられる」と指摘する。先代からの「大番頭問題」だ。古参幹部が幅をきかせて、新たなトップが経営しづらいケースもある。徳川家も当初は、酒井忠次、石川数正といった家康より年長の大物重臣が他家との交渉を担当していた。直政の登用で、家康がトップダウンで外交を仕切ることが可能になったわけだ。

家康の本拠地があった三河。くしくも愛知県豊田市にはトヨタの本社がある。かつては地元出身の生え抜きの幹部が少なくなかったが、創業家出身の豊田章男社長は、外国人や女性を役員に登用するなどダイバーシティーを推し進めている。グローバル化やデジタル化が急速に進むなか、外部出身者の人材登用も増えている。入山准教授は「外様の直政を重用したのは、今のトヨタ人事と共通するものがある」という。

家康より20歳近く若い直政は家康より14年早く40歳代初めに死去する。家康はその後、井伊家臣団の統制、居城の選定、後継者の差し替えなどに事細かく口を出した。直政の井伊家は自分が作ったという思い入れが感じられる。現在の彦根城(滋賀県)も、家康が直政の遺志を思い、築城。江戸期の井伊家の居城として琵琶湖湖畔に今もその優美な姿を映し出している。

(松本治人)

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