coba、作曲の極意 傑作は風呂場に降りてくる編集委員 小林明

――なぜプロ奏者になろうと決意したのですか。

アコーディオンを始めたころのcobaさん(右は父)

「『地味なアコーディオンの運命を変え、格好いいロックスターのようにしたい』と思ったからです。中学から高校になるとピンク・フロイド、イエス、エマーソン・レイク・アンド・パーマーなどのプログレッシブ・ロックに夢中になりましたが、アコーディオンでそれをやりたいと考えていた。ボーカルの部分をアコーディオンで歌うという発想です。自分が弾くアコーディオンの音色に観客が総立ちになり、拳を突き上げ、口笛を吹き鳴らしながら狂喜乱舞している……。そんな新しい音楽を創造したかった。その目標にどうやったらたどり着けるのかは見当もつかないけれど、『自分はこうなりたい』という夢の映像だけはやたらに具体的だった。それが音楽人生の大きな原動力になりました」

「海外に行け」と一喝、演奏は「成功体験の積み重ね」

――高校を休学して18歳でイタリアに留学しましたね。

「転機は高校2年の夏休み。ミュージカル『若きハイデルベルヒ』で端役としてアコーディオンを伴奏する機会があり、その打ち上げ会で音楽監督だった山本直純先生から『将来は何をやりたいの?』と聞かれたんです。実は僕はまだ深く考えていなかったので『将来はアコーディオン奏者として食べてゆきたいですが、とりあえずは有名音大にでも入学して音楽を勉強しようかなと思っています……』なんて曖昧に答えてしまった。すぐに『バカモーン!』と雷を落とされました。『学歴や世間体なんて気にするな。アコーディオンを学びたいなら日本にいてもダメだ。すぐに海外に行け』というわけです。その一喝で目が覚めました。心配する両親をなんとか説得し、アコーディオンの本場イタリアに留学することに決めました」

――本場で印象に残っていることは何ですか。

1980年の世界アコーディオンコンクールで優勝(ウィーンで、右はボスケルロ学長)

「ベネチア近郊にある欧州屈指の名門ルチアーノ・ファンチェルリ音楽院でボスケルロ学長から指導を受けた経験です。そこで『偉大な演奏家になるには、良い演奏をしたという成功体験をいかに積み重ねるかが重要』と教わり、目からうろこが落ちました。1回しかない本番でベストの演奏をするには、成功体験を何度も繰り返すしかない。失敗体験をいくら繰り返してもダメなんです。単純明快で説得力がありました。だから、ひたすら練習するしかなかった。おかげでグングンと腕が上達し、音楽院を首席で卒業。ウィーンで開かれた世界アコーディオンコンクールでは優勝することもできました」

『SARA』が降りてきた瞬間、リラックス・無意識…

代表作『SARA』などを収録し、日本レコード大賞特別賞を受賞したファーストアルバム『シチリアの月の下で』

――日本に帰国後の1992年、『SARA』などを収録したアルバム『シチリアの月の下で』が日本レコード大賞特別賞を受賞します。

「作曲とは不思議なもので、練りに練って七転八倒しながら作り上げるものもあれば、何気ない瞬間にハッとひらめくものもある。最初のヒット曲『SARA』は、自宅の風呂場の脱衣場で鏡を見ているときに突然、天から降りてきました。『シュー、ヒュッ』とトンネルを抜けた瞬間のような感覚です。まず降りてきたのがAメロ。『これは尋常ではないぞ』と直感したので、すぐに紙を取り出して五線を描き、急いでそこにメロディーを書き付けました。なぜか傑作と思う曲の7~8割はシャワーを浴びているときに降りてくるようです。おそらく心身がリラックスしているからでしょう」

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