身近な人が過労でうつに どうサポートすればいい?
知っておきたい過労死の実態と防止策(下)
前回「仕事が原因のうつ病が増加傾向 自殺の9割以上は男性」では、うつなどの精神障害により自死(自殺)するケースが増えていることや、具体的にどんな出来事が背景にあることが多いかについて紹介した。では、もし自分自身や身近な人が同じような状態になったとき、私たちはどう行動すればいいのか。過労死の実態や要因などについて調査研究を進めている労働安全衛生総合研究所 過労死等調査研究センター 統括研究員の吉川徹さんに伺った。
「死ぬくらいなら、仕事を辞める」ができない理由
――精神障害事案のうち、約2割が自ら命を絶つ選択をしています。自殺の報道を耳にすると、「死ぬくらいなら、仕事を辞めればよかったのに……」「誰かに相談すればよかったのに……」と思う人も多いと思いますが、なぜ、それができないのでしょう。
いわゆるうつ状態が考え方の視野を狭め、正常な判断をできなくさせているからです。うつ病から回復した人たちは、「どうしてあのときは死にたいと考えていたのか分からない」と話すことがありますが、それほど精神的に追い詰められて、逃げることもできなくなってしまうんですね。そうした状態では、心配する周囲の声も耳に入らなくなり、ますます負のスパイラルに陥っていく。そこで適切なサポートが得られないと、自殺を考える人も出てきます。
――「適切なサポート」とは、具体的にはどんなことでしょう。また、どんな兆候が見られたときに、サポートが必要になるのでしょうか。
うつ状態の兆候には、思考力や集中力の低下により仕事のケアレスミスが増える、重要な決断ができなくなる、気分の浮き沈みが激しい、慢性的な疲労や気力の減退がある、食欲の増減や睡眠に関する問題を抱えているなどがあります。
そうした兆候に気づいたときには、本人の話をまず聞いてあげることが大切です。不眠が続いている、体調が悪い、いつもの仕事ができていない、表情や行動が以前と明らかに違うなどの場合は、「あなたのことが心配だから」「最近、こんなふうに変わったよ」と声をかけ、心療内科や精神科などの医療機関への受診を勧めます。
もし、大切な人がうつ病と診断されたら、「温かな放置」の気持ちが大切です。つまり、あれこれと声をかけるよりも、そばにいる時間を増やして見守るのです。不安などを打ち明けてきたときは聞いてあげることが大切ですが、元気づけようと「頑張って」などと声をかけたり、無理に外へ連れ出そうとしたりすると、さらに追い詰めてしまうことがあります。うつで療養している人には、よかれと思って口にした本音も思っている以上に響くものなので、回復までは本音は控えたほうがよいでしょう。
もし医療機関につながっていないときに、「死んでしまいたい」「どこかに消えてしまいたい」といった言葉を口にするようになったときは危険です。よく、「『死にたい』という人に限って死にはしない」などとうそぶく人がいますが、それは大きな間違いです。「死にたい」と口にするのは「助けてほしい」というメッセージですから、全力でサポートすべきです。その際には、真剣に本人の話を受け止め、本人の困っていることを具体的に聞き、自殺の危険が去るまで、本人を一人にしないことなどが重要です。
うつ状態に陥る前のセルフケア、職場づくりが重要
――自分でうつ状態の心配があるかどうかを判断する方法はありますか。従業員が50人以上の事業所では「ストレスチェック制度」が導入されていますが、このストレスチェックも有効でしょうか。
ストレスチェックを受けて自分自身の心の健康状態に気づき、セルフケアにつなげることが重要です。ストレスチェックは仕事についての負担、心身の自覚症状、周囲のサポートの3つの観点による57の質問に答えると、ストレスのレベルが分かります。そこで高ストレスが示された場合は、自身や職場ぐるみで対処していくことが大切です。
ストレスチェックは1年に1回以上の実施が義務付けられていますが、そのときの仕事の状況によっても結果は変わります。また、従業員が50人未満の事業所では実施されていないこともあるでしょう。その場合は、働く人のメンタルヘルス・ポータルサイト「こころの耳」(http://kokoro.mhlw.go.jp)[注1]に設置されている「5分でできる職場のストレスセルフチェック」(http://kokoro.mhlw.go.jp/check/)で同様のストレスチェックが可能です。定期的に実施してみて、自分のストレスの傾向を把握しておくといいでしょう。
――ストレスが高まっている状態のときは、対処が必要だと分かっていても、休むに休めない状況であることが多いと思います。そうした中でも、何かできることはありますか。
[注1]平成29年度(2017年度)の厚生労働省委託事業として、一般社団法人日本産業カウンセラー協会が開設。
休めないときにどうしたらいいのかは難しい問題ですが、自分でできることと、職場でできることがあります。まず、自分でできることの一つには、睡眠をしっかり取ること。前々回記事「過労による突然死 40~50代男性がリスク大」でもお話ししましたが、睡眠時間の短縮や質の悪化は脳・心臓疾患のリスクを高めることが分かっていますし、不眠をはじめとする睡眠障害はうつ病の典型的な症状でもあります。ですから、すでに不眠などの睡眠障害を自覚している人は、うつ状態の可能性があるので、精神科や心療内科、睡眠外来などを受診して対処したほうがいいでしょう。
睡眠時間が十分に確保できない時期には、睡眠の質を高める工夫をしてほしいと思います。例えば、目の網膜への光刺激は睡眠の質を下げるので、就寝前にはパソコンやスマートフォンの画面は見ない、覚醒作用のあるアルコールやカフェインの入った飲料はとらないなど。朝起きてすぐに太陽の光を浴びることも大切です。これは、太陽の光を浴びることで体内時計をリセットして、睡眠と覚醒のリズムをつかさどるメラトニンというホルモンの分泌を調整するためです。
職場では、働く人同士が互いの様子を気にかけ、挨拶するなど声をかけ合うことが大事です。休めない状況が延々と続き、先の見通しがつかない状態では、ストレスも高まります。ただ、そこで「よく頑張っているね」とお互いをねぎらい、「この仕事が一段落したらおいしいものを食べに行こう」などと言い合えたりすれば、ストレスの度合いは違ってきます。また、普段から業務の情報を共有して仕事の進め方を調整したり、必要なときには上司や先輩、同僚に相談したり、支援を求めたりしやすい環境を整えることも重要です。
働き方だけでなくコミュニケーションの改善が重要
ストレスがまったくない状態では、人間は成長しません。仕事のやりがいや面白さは、ある程度のストレスがある中で、自分自身を成長させながら育てていくものです。最近、注目されているワークエンゲージメント(従業員の心の健康度を示す概念)の研究でも、仕事に対する熱意や充足感などが高い人は、労働時間が多少長くても、健康でいられることが分かってきています。
だからといって長時間労働でも構わないという話ではありません。時と場合によって、自分自身や職場の人が働き方や心身の負荷をコントロールしやすい職場づくりを進めることが重要です。働き方改革の機運が高まっていることで、長時間労働の改善に取り組む企業が増えていますが、労働環境の整備だけでなく、仕事の生産性にも直結するコミュニケーションの改善にも目を向けてほしいと思います。
――ストレスチェックで高ストレスと診断されたときや、自分がうつ状態かもしれないという不安があるときには、職場の健康管理室などの産業医や保健師といった専門家に相談するのがベストだと思いますが、社内では相談しづらいという人も多いようです。
確かに、「社内で相談して、もしうつ病だと分かったら、キャリアに影響するかもしれない」と不安に思う人はいるでしょう。しかし、長い人生のうちでひどく落ち込んだり、うつ状態に陥ったりすることは、異動や転籍で上司や仕事内容が変わる可能性があれば、誰にでもあり得ることです。うつ病と診断されたとしてもそれでキャリアが終わるわけではありませんし、職場もまた、受け入れる環境を整備しなければいけません。
職場以外にも、相談できる窓口はたくさんあります。例えば、先ほどご紹介した働く人のメンタルヘルス・ポータルサイト「こころの耳」には、相談機関や窓口を紹介するページがあります。電話やメールで相談できるほか、精神科や心療内科のある全国の医療機関を検索することもできます。また、働く人、働く人を支える家族、事業者・上司・同僚のそれぞれに役立つ情報も多く掲載されているので、メンタルヘルスに関する悩みや困ったことがあるときは、サイトを訪れてみるといいでしょう。
【知っておきたい過労死の実態と防止策】
労働安全衛生総合研究所 過労死等調査研究センター統括研究員。1996年産業医科大学医学部卒業。2015年4月から労働安全衛生総合研究所国際情報・研究振興センター上席研究員、労働災害調査分析センター センター長代理、過労死等調査研究センターを併任。2017年4月から現職。専門は国際保健学、産業安全保健学。過労死等事案の分析や、過労死等予防のための職場環境改善の研究などを行う。
(ライター 田村知子)
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