俳優・実業家、デビット伊東さん 信頼の馬耳東風
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は俳優・実業家のデビット伊東さんだ。
――かなり破天荒なお父さんらしいですね。
「僕が高校1年生の時です。地元の埼玉でサラリーマンの課長だった父は『会社を辞める。東京で商売する』と言い出してカメラフィルムの現像店を開きました。店は2、3年続いたでしょうか。その後、『これからは手に職をつけなければ』と水産加工会社に転職し鮮魚店で働き包丁さばきを身につけました。職の変遷に脈絡がありません」
「その後も空気清浄機の販売、冠婚葬祭会社と職を変え、最後の5回目の転職はなんと作家。笑うしかありません。自由気ままに生きている人です。僕は父のDNAをしっかり受け継いでいます」
――家族は振り回されたのではないですか。
「少し負債があったらしいし、家計は苦しかったと思います。でもそんなことを母はおくびにも出さなかった。僕はご飯でみじめな思いをしたことがない。友達を家に呼んでも、ちゃんとおやつを出してくれました。父は『だれにも迷惑をかけていない』と言っていましたが、母の支えがあってのものだと思います」
――そんなお父さんも79歳。悠々自適の日々です。
「僕も仕事が軌道に乗り、両親にマンションや車をプレゼントしたのですが、いくつになっても子は子なんです。表向きは僕のことを一切認めません。いつまでも父でいたいんでしょうね。父は昭和の前半生まれの人に見られがちな頑固なところがあります」
「時折、父の顔を見に行くと開口一番『おい、(ラーメン店を運営する)会社はうまくいっているのか』。そこで最近の売り上げ動向や出店戦略について一通り説明するのですが、聞いているのは最初だけ。人にしゃべるだけしゃべらせておいて『耳が遠くなったな』で締めるんです」
――馬耳東風ですね。
「聞こえないふりだと思います。その代わり父は僕の顔をじっと見ています。仕事に自信があるのかないのか僕の表情で判断して、大丈夫だと思ったら話を長く聞く必要がない、ということでしょう。馬耳東風は僕への信頼の裏返しだと解釈しています」
「僕は父のそんな立ち居振る舞いを、ラーメン店で働く若者の育成に生かしています。ポイントは、相手の話の要点だけを聞いて後は本人に判断させる。そしてやらせてみて、結果を出せばほめる――です。外食産業は人手不足といわれていますが、僕の店で辞める若者はまれです」
――破天荒な父親から学んだ人材育成といえそうです。
「父にはこれからも今のままでいてほしい。大好きです。いつの日か故郷に戻り二世帯住宅を建てて、父と母のお世話をしたいです。2人ともいつまでも笑顔でいてほしい。そのためにも親を悲しませることをしないのが僕にとっての親孝行です」
[日本経済新聞夕刊2017年12月5日付]
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