楽天イーグルスのホームスタジアム、Kスタ宮城(現Koboパーク宮城)で試合観戦(右が南壮一郎氏)=同氏提供「三木谷さんのカバン持ちをしながら、経営を学びました」。人材サービスのビズリーチ(東京・渋谷)の南壮一郎社長は、投資銀行を経て、28歳で東北楽天ゴールデンイーグルスの球団創設メンバーとなった。南氏を育てたのは50年ぶりのプロ野球チーム誕生の熱気と、ひと回り上の先輩経営者たちの背中だった。サッカーの次は野球――。「スポーツに鍛えられた」という南氏が、当時を振り返る。
■サッカーに明け暮れた学生時代。大学を卒業し、米投資銀行モルガン・スタンレーに入った。
僕は学生時代、本当にサッカーしかしていなかったんです。はじめから、学生時代と社会人生活は明確に分けると決めていたんですが、自分が何をしたいのかはわからなかった。まずきちんとした会社でしっかり仕事をしようと、入社したのが米投資銀行のモルガン・スタンレーでした。そこで、M&A(合併・買収)部門のアナリストをしていたんです。
ところが、2002年の日韓ワールドカップで、日本代表がワールドカップ初勝利をあげたのを見て、とにかくスポーツに関わる仕事がしたいと思うようになりました。会社を退社して数年後、運良く楽天の三木谷浩史さんに「拾ってもらった」んです。そこで、東北楽天ゴールデンイーグルスの創業メンバーの1人になれた。僕は、外部社員1号でした。僕以外は、みんな楽天からきていたんです。
■イーグルスは、漫画『ドラゴンボール』の異空間のようだった。
このときの環境をたとえるなら、漫画『ドラゴンボール』に登場する異空間「精神と時の部屋」でした。漫画では、この部屋は外界とは時の流れが違っていて、外界での1日が部屋の中では1年にあたるんです。ここで過ごすと、短期間でパワーアップできます。まさに、楽天にいたときの自分がそうでした。
50年ぶりの新球団誕生で猛烈に注目されている。新聞やテレビにも、毎日取り上げられるし、一生分の注目を浴びたと思います。何もかもが、普段の3倍速で進みました。
僕は10人ほどいた創業メンバーのなかで「ジョーカー」と呼ばれていました。要するに何でも屋です。最初の2カ月は、ドラフト会議に出たり、全選手の契約書を書いたり、現場の資料づくりをしたり。選手の契約が終わったあと、沖縄県の久米島をキャンプ地にする交渉に行きました。いわば現場の仕事です。
開幕までに、ファンクラブをつくったりチケットのシステムをつくったりして、興業をいいものにするための仕事にも関わりました。その後、三木谷さんや島田(亨・元楽天野球団社長)の意向で、野球界全体を変えるため、プロ野球の構造改革を考える会合にも関わらせてもらうようになったんです。
いい意味で「丁稚(でっち)奉公」させてもらいました。ちょうど一回り上の経営者のカバン持ちをしながら、経営を学ばせてもらえたんです。社会人になってから、イーグルスとプロ野球に、ビジネスパーソンとしての修行をさせてもらったんです。
■銀行で得たスキルそのものは役に立たなかったが、社会人としての基礎は築いた。
南氏は「大切なのは、その場その場で学ぶ姿勢があるか、努力するかしないか」と話す投資銀行での経験が役立ったかと聞かれたら、直接的には何も役に立っていません。必要なスキルがまったく違うからです。プロ野球のキャンプ地の下見と、M&A担当の銀行員として表計算ソフトと格闘していた日々が、つながるはずもない(笑)。ビズリーチの創業にも、楽天やモルガン・スタンレーの経験は関係ないですね。僕は「1人人事異動」といっているんですが、将来を想定して動いていませんから。
ただ1ついえるのは、僕は変化が怖くなかった。仕事の相乗効果でいえば、ビジネスパーソンとしての基礎として持つべき「規律」、サッカーで学生時代に学んだ、変わらない「本質」を、ここでも得られました。僕にとっては、投資銀行で働くのも、プロ野球チームを運営するのも、ITベンチャーを創業するのも変わらない。大切なのは、その場その場で学ぶ姿勢があるか、努力するかしないか。これだけです。
つらい環境に耐えるという感覚でもない。全部「勝つ」までの過程なんです。僕が負けだと言わなければ、負けにはならない。勝つまでやり続けて最後、仲間と一緒に笑っていたいです。
今も途中です。試合がようやく始まりそうだ、やっと本格的なスタートラインに立たせてもらった、という感覚です。僕は、昔から20代が修行、30代が練習試合。40代から60代までが公式戦、70代からが後進の指導だと思っているんです。
■ビズリーチは、バスケットボール男子の「Bリーグ」、ラグビー・ワールドカップ日本大会の幹部人材募集を支援している。
僕は、プロ野球を通じて、人としてもビジネスパーソンとしても学ばせてもらいました。学生時代のサッカーも含めて、スポーツに恩返ししたいんです。自分で経験したからわかるんですが、スポーツビジネスは、自分を鍛えられるすばらしい場所でもある。ほかの仕事と違って文化的な背景もあるから面白い。新しいキャリアの選択肢を提供したいと思っています。
スポーツ業界を変えてやろう、というえらそうな気持ちはないけど、この業界はビジネスの面では保守的なところもあります。外の考えを入れて、ビジネスとして成長してほしい。それがビズリーチという会社を通じてできる、スポーツへの最大の恩返しだと思っています。だからこそ、この2つの仕事は自分で取りに行きました。
■「仕事も人生も楽しめ」がモットー。楽しんでいなければ、いい仕事などできるはずもない。
モットーは「仕事も人生も楽しめ」僕のモットーは「仕事も人生も楽しめ」「ワーク・ハード、プレイ・スーパー・ハード」なんです。「働き方改革」がいわれている今、「ワーク・ハード」なんて言っていいんですか、といわれることもあります。でも、「長時間働け」なんて一言もいってない(笑)。集中しろということです。短い時間で、なるべく大きな結果を出す。実際、僕は早く帰るし、会社は午後9時に消灯します。
僕は、仕事も遊びも一生懸命やるってすばらしいことだと思う。日本人って、熱いヤツを少し冷ややかに見るところがありますよね。「意識高い系(笑)」と皮肉っぽくいうこともある。僕はそういうのは好きじゃない。何事も一生懸命やれば楽しいと思う。楽しんでなかったら、いい仕事なんかできるはずもないんです。
32歳で起業したとき、人材関連の分野を選んだのは、自身の転職活動がきっかけでした。日本特有の、人が会社にしがみつくような働き方はあまりに時代遅れだと思いました。みんなが不幸に見えたんです。
そんな状況を、ITの力も使いながら解決すれば、社会がよりよくなると考えたんです。ビズリーチは、これからも時代にあわせて、社会の大きな課題を解決し続ける会社でいたいです。そして、ここで働いている仲間が楽しんでいれば、なんでもいいんです。「本質」さえ変わらなければね。
南壮一郎
米タフツ大卒業後、モルガン・スタンレー証券入社。04年、東北楽天ゴールデンイーグルスの立ち上げに参画。09年にビズリーチを創業して、社長に就任。現在に至る。
(松本千恵)
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