東京五輪は「大転換」の象徴 半世紀前の再現なるか混迷打開のカギは「追いつき型」経済システムからの脱却

2017/12/28
1964年10月の開会式では自衛隊機が青空に5つの輪を描き出した
1964年10月の開会式では自衛隊機が青空に5つの輪を描き出した

半世紀前の東京五輪に日本中が熱狂した。先進国へと大転換をとげる象徴的なできごとだった。今また、準備が進む2020年の東京五輪・パラリンピック。日本経済の転換点を示すイベントになるだろうか。

1964年10月、アジア初の五輪を開いた東京を舞台にした映画「ALWAYS 三丁目の夕日'64」。秋晴れの空に自衛隊機が五輪を描くと、自動車修理工場「鈴木オート」の鈴木則文社長は涙ぐむ。

「この辺は全部焼け野原だったんだ。食うもんも、ろくになくて。それがどうでえ。ビルヂングがどんどんできて、とうとうオリンピックだぞ。東京オリンピックだ。ウオー、ウオオ」

鈴木は戦地から引き揚げ苦労して会社を作った。敗戦からほぼ20年。その叫びには、驚異的な復興への誇りがにじむ。

敗戦後、日本の経済規模は戦前の二分の一にまで落ち込んでいた。朝鮮戦争が終わった50年代半ばから、70年代初頭までの十数年、日本経済は年平均10%の歴史的な高成長を続ける。高度成長の時代だ。

経済のしくみが大きく変わった。近代的な工業が主力となり、技術革新と設備投資が進み、製品価格が下がり、給料は上がった。

国民の暮らしむきは向上し、洗濯機、冷蔵庫、テレビの「三種の神器」が急速に普及、やがて9割に達する。自動車も浸透し始め、70年代初頭には、欧米並みの豊かさを手にいれた。

ビルや道路の建設ラッシュで、街もすっかり姿を変えた。その変化はあまりに大きかった。吉川洋・東大名誉教授は「今では高度成長以前の日本がどのような国であったのか、想像することすら難しい」(「高度成長 日本を変えた六〇〇〇日」)と書いている。

64年には経済協力開発機構(OECD)に加盟、先進国の仲間入りを果たす。自動車や電子機器など工業製品を輸出し、貿易を黒字にして債務国を脱する。69年ごろには外国への投資で稼げる債権国となり、気がつけば、世界2位の「経済大国」になっていた。前回の五輪は、そんな時代の勢いを体現した大会だった。

その後の日本経済は2度の石油危機で、成長に急ブレーキがかかる。バブル景気で5%前後にもどるが、バブル崩壊後は、マイナス成長を記録するなど長く停滞が続いている。

混迷は30年近い。このところ、景気回復が高度成長期の「いざなぎ景気」を超え、戦後2番目の長さとなるなど明るさも見える。だが、なかなか給料は上がらず、消費も伸びない。回復を実感できず、閉塞感が拭いきれない。

その理由を池尾和人・慶応大教授は「追いつき型の経済システムが続いたため」とみる。海外から技術を取り入れ先進国になるには良かったが、自ら最先端を切り開くしくみができていなかった。それで、変化に対応できなかった。

ただ、そろそろ成長に向けた新しいしくみができてもふしぎではない。20年の五輪が「日本社会の再出発を祝う大会になることもありうる」という。