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東京女子医科大学の新浪博士教授

東京女子医科大学の新浪博士教授

難しい心臓手術を年間300症例以上もこなし、「心臓手術のスーパードクター」の異名を持つ、東京女子医科大学の新浪博士教授(55)。母校は神奈川県有数の進学校、県立横浜翠嵐高校(翠嵐、横浜市)だ。在学中はけっして真面目な優等生タイプではなかったという新浪氏。未来のスーパードクターは、どんな高校時代を過ごしたのか。

兄は新浪剛史サントリーホールディングス社長。小さいころからよく比較された。

兄も翠嵐でしたが、年が3つ離れていて、兄が卒業した年に入れ替わりで私が入学しました。

兄は背が高く、翠嵐時代はバスケットボールの県の優秀選手に選ばれるほどのスポーツマン。翠嵐自体もバスケが強かった。ですから、高校でも目立つ存在でした。

対照的に、私は身長も普通ですし、剣道はやっていたものの、スポーツはそんなに得意ではありませんでした。入学して間もなくの体育の授業のときに、私の動きを見ていた先生から、「お前は本当に新浪の弟か」と言われたことを今でも覚えています。

性格も対照的。兄は見ての通り、外に向かって発信するのが得意な外交的な性格。スポーツもチーム競技をしていましたし、リーダーシップを発揮して組織を束ねる経営者にもともと向いていたと思います。

それに対し私は内向的な性格で、小学生のころから一人でプラモデルを作って遊ぶのが好きな子供でした。今は仕事上、いろいろな人とおつきあいする機会が増えたので、だいぶ社交的に振る舞えるようになりましたが、生まれつきの性格はそんなに簡単には変わるものではありません。

また、他人に気を使うタイプでもなかったため、親からは礼儀を知らない子供だと思われ、小学3年の時に無理やり剣道をやらされました。いやいや始めたものの、結局、大学卒業まで続け、三段までいきました。でも、翠嵐時代は、正直それほど真剣に剣道に打ち込んでいたわけではありません。友達と遊びたくて、よく練習をサボりました。

しかし、勉強に関しては、兄より私のほうができました。私や兄が中学生のころは、神奈川県には、アチーブメントテストという独特の学力テストがあり、そのテストの点数は私のほうが上でした。

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