レコード生産復活のソニー アナデジ融合の新メディア
「年の差30」最新AV機器探訪
世界的に売り上げが増加しているアナログレコード。日本でも若手アーティストが新譜をレコードで出すのは珍しくない。そんな状況下、先日、ソニーの音楽子会社、ソニー・ミュージックエンタテインメント(SME)がレコード生産を再開すると発表した。CDの生みの親でもあるソニーがレコードを復活させる狙いは何か。平成生まれのライターが、昭和世代のオーディオ・ビジュアル評論家とともに、制作現場を訪れた。そこで見たのはレコードの奥深さ、そしてデジタル時代ならではの可能性だった。
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これほど注目されるとは思いませんでした
小沼理(25歳のライター。以下、小沼) 最新ヘッドホン(「高級ヘッドホン バランスか個性か、決め手は利用時間」)、有機ELテレビ(「有機ELは液晶と何が違う? TVの進化と未来を探る」)を取材してきたこの連載ですが、今回のテーマは「アナログレコード」です。
小原由夫氏(53歳のオーディオビジュアル評論家。以下、小原) 20代の小沼さんから「レコードを取り上げたい」といわれて驚きました。でも世界的に見るとレコードは成長を続けています。日本でも最近、レコードを聴く若い人が増えているみたいですね。
小沼 実は僕も先日、レコードプレーヤーを買ったんです。僕が好きなインディーズのアーティストでもアナログしか作品をリリースしないことがありますし、3年前、HMVが渋谷にレコード専門店をオープンしたときも、僕たちのまわりでは話題になりました。だから、大手のSMEが自社でレコードの生産を始めるというニュースを見たときも気になっていたんですよ。
小原 ソニーはCDを開発・発売し、音楽の聴き方をアナログからデジタルへ大きく変えた存在。そのソニーが再びレコードを生産することには、僕も興味がありました。今日はそのあたりをしっかりと聞いていきましょう。
小沼 まずお話をうかがうのは古川愛一郎さん。ソニー・ミュージックエンタテインメント コーポレートSVPで、今回のアナログレコード生産再開のキーパーソンです。
古川愛一郎さん(以下、古川) 実はここまで注目されるとは思わず、反響の大きさに驚いています。ちなみにお二人はどのあたりに関心を持ったんですか?
新しいアナログ世代が登場している?
小沼 最近は若いアーティストでも作品をレコードでリリースする人が増えている印象があります。メジャーレーベルであるSMEが自社生産を始めるのに、どういう展望を描いているかが気になりました。
小原 私の世代だとソニーはCDを普及させ、アナログメディアを駆逐した存在くらいに思っている。そのソニーがレコードムーブメントに再び手を出すと聞いて、その狙いを確認したかったんです。「あんたたちが(レコードを)潰したんじゃないか!」って(笑)。
古川 なるほど(笑)。ただ、82年にCDが登場したときはアナログからデジタルへのフォーマットの変化でした。今は音楽の聴き方が多様化している。状況がまったく違います。
小沼 たしかに今はCD以外にも配信という楽しみ方もあります。配信にもダウンロード型やサブスクリプション型がありますし。
古川 音楽の聴き方が多様化する中で、レコードというフォーマットも年々存在感を増してきており、日本レコード協会の発表をみてもアナログレコードの売り上げは世界的に10年連続で増加しています。CDや配信などに加えて、レコードを選択肢の一つとして提供することが我々のミッションだと考えたことが自社生産再開のきっかけです。
小原 若い世代にレコードが人気なのはなぜだと思いますか?
古川 一つには、ファッション性が挙げられるとは思っています。
小沼 ジャケットも大きく、インテリアとして飾っても格好いいですしね。実際に飾らなくても、流行を追っているという意味のファッション性でレコードに興味を持つ人も多いと感じます。
古川 ただ、レコード人気の理由はそれだけではないと考えています。今は様々な音楽の聴き方がありますが、CDや配信とは違うアナログレコードの特徴は「ながら聴き」ができないこと。レコードをセットして、針を落として……少し面倒な手順を踏まないと聴けないのですから。
小沼 確かにレコードで音楽を聴くときは、普段とは違う特別な気持ちになります。
小原 20代でもそうなのか。
古川 手間をかけてでも「音楽に向き合う」その姿勢を好む人が増えていることも人気の理由の一つだと感じています。それは、音楽産業としても文化としても喜ぶべきことですし、今回のプロジェクトの大きな狙いでもあります。新たなアナログ世代が育ってほしいと思いますね。
小沼 アナログって古い世代を示すことが多いので、「新たなアナログ世代」って面白いですね。最近、CDや配信よりレコードを聴くことが多いという僕の友人は、デジタル世代の次のアナログ世代なのかもしれません。
競合他社も協力 まるで下町ロケット
次にたずねたのは、ソニー・ミュージックスタジオ。ここにレコードの元となるラッカー盤に溝を掘るカッティングマシンが設置されている。マシンを見ながら、レコード生産再開までの苦労、そして最新のレコード作りについて、現場でカッティングマシン導入から専用ブース構築を行ったソニー・ミュージックコミュニケーションズの宮田信吾さん、実際にカッティングを手掛けている同社マスタリングエンジニアの堀内寿哉さんに話を聞いた。
小沼 レコード生産再開に向けての準備はいつごろからしていたのですか?
宮田信吾さん(以下、宮田) 2年半前からです。まずここにカッティングマシンを導入するところから始めました。
小原 カッティングマシンはレコードの原盤となるラッカー盤をカッティングする機械です。この原盤から作られたスタンパーでプレスされたものが、我々の手に入るレコードになります。
小沼 昔使っていた機械を復活させたんですか?
宮田 いえ、我々が昔持っていたカッティングマシンはCDに切り替わるタイミングで全て処分してしまったんです。今回、機械を探すだけで半年かかりました。
小沼 新品を買うわけにはいかないんですか?
小原 カッティングマシンは主にNEUMANN(ノイマン)とScully(スカリー)などの製品があるんですが、どちらも今は生産されてないんですよ。捨てなければよかったのに……。
宮田 しかも使っていないと機械の状態が分からないので、実働品を探さないといけない。アメリカやヨーロッパなど広く探していたところ、アメリカでNEUMANNの良いマシンがあるという情報を得ました。あるマスタリングスタジオが閉鎖するタイミングだったので、そこで使われていた状態の良い実働品を手に入れることができました。
堀内寿哉さん(以下、堀内) ただ、そこからも大変だったんです。
宮田 マシンは大きいので、分解して日本まで運ばないといけません。現地で分解したアメリカのエンジニア本人に来日してもらって組み立ててもらう予定だったんですが、スケジュールなどの関係で来てもらうことができなかったんです。
堀内 カッティングマシンを組み立てたことのある人は、日本にはもういませんでした。だからみんなで部品を一つ一つ眺めて「これ何だろうね?」と言いながら、組み立てていったんです。
宮田 古川は「『下町ロケット』みたいだな」と言っていました(笑)。他社のエンジニアにも協力を仰いだら、皆さん快く手伝ってくれて。コロムビアや各社の技術者の方にも来ていただいて、みんなで作り上げました。
小沼 ライバル会社も協力してくれたんですね。
「溝をみれば音が分かる」って本当だった
堀内 組み立てた後も、細かな調整が大変でした。例えばカッティングマシンのターンテーブルを水平にするのに1週間以上かかりましたから。
小沼 なんで水平が大事なんでしょう?
堀内 カッティング用の針を使ってラッカー盤に溝を切ることで、レコード盤の元になるマスターを作るわけですが、傾いているとそのラッカー盤が上下してしまい、針が入る深さが変わり、正確に切れなくなってしまうんです。
小沼 溝が大切なんですね。
小原 レコードの溝の形は、データと同じ波形だと考えるとわかりやすいです。マニアは溝を見て「これは良い音だなあ」と言ったりもしますから。
堀内 高い音が多いと白っぽくなって、低い音が多いと左右に溝が揺れるんです。(溝を見ながら)左から2本目の(1)の溝は白っぽくなってるので、きっと高い音が多いですね。(2)の溝は左右に大きく揺れているので低い音が多い。(3)は溝が揺れながら白っぽくなっているので、キックとハイハットが同時に鳴っている部分かな……。
小沼 溝で音を判断するって、本当にできるんですね……。ネタかと思っていました。
アナログとデジタルのハイブリッド
小原 カットしている溝はモニターに映して確認しているんですね。昔のエンジニアは顕微鏡を使っていたものですが。
堀内 僕はモニターのほうが楽ですね。モニターでは溝同士がくっついていないか、ノイズの原因となるものがないかなどを見ています。たとえば溝の中にホコリが入っていたら、ノイズの原因になるので一からやり直し。レコードを切るのはリアルタイムで行うので再生時間と同じだけ時間がかかるし、データと違い材料費もかかるので真剣勝負です。
小沼 デジタルに比べるとコストも時間もかかるんですね。
宮田 でも、デジタル化できるところはデジタル化しているんですよ。堀内のようなデジタルネーティブのエンジニアがカッティングを習得したことは、今回のプロジェクトの面白さの一つだと思っています。デジタル機器の操作や音作りに慣れている世代がアナログレコードを切るので、アナログ世代が切るレコードとは違ったものができると思っています。
堀内 長いあいだマスタリングエンジニアをしてきたので音作りは習得しています。レコードを切る時に不都合な音があれば、事前にデジタル処理でデータを調整できます。そのため切る作業に集中できるのは僕らの強みだと思います。
宮田 以前スタジオでカッティングをしていたOBからは「技術の習得に3年かかる」と言われましたが、堀内は3カ月で細かいクオリティーの調整まで習得しました。それは切る作業だけに専念できたからです。レコード生産を再開すると言うと「アナログ時代の巨匠を呼んでみては」と言われるんですが、今のエンジニアの方が彼らよりデジタル機器の操作や音作りは得意ですからね。
小沼 昔ながらの作り方だから良いわけではないということですね。
小原 ううむ、最初は「レコードからCDに一気に切り替えたの、後悔しているんじゃないですか?」なんて聞こうと思っていましたが、現在のレコード作りはアナログとデジタルのハイブリッドなんですね。両方の良さが生かされているのか。
アナログならではの音が気持ちいい
小沼 今回のカッティングは、堀内さんが志願したんですか?
堀内 いや、宮田から声がかかりました。でも最初から興味はありましたよ。映像の世界だと5年ごとにどんどん新しいメディアが登場するけど、音楽はCDからほとんど変わっていない。新しいメディアに関われる機会は少ないので、楽しい挑戦でした。
小原 どういうところが楽しいですか?
堀内 アナログは再生環境でまったく音が変わるんです。カッティングを始めるにあたり、自分の中で「良い音」の基準を作るために昔のレコードをたくさん聴きました。でも、レコードプレーヤーのカートリッジを変えたら音ががらりと変わってしまうとか、アームの調整でも音が違ってくるとか、これはCDにはないことです。試行錯誤を繰り返しながら、自分の基準を作っていくのはこれまでにない経験でした。
小沼 音作りもCDとレコードでは違うんですか?
堀内 アナログって制限がものすごく多いんです。音量が大きいとその分溝が横に振れる幅が大きくなってしまうので、物理的に盤面に楽曲を収める調整が必要ですし、そのままでは切れない音もあります。それに、CDのデータをレコードで再現するだけだとなんだか物足りないんですよね。CDやハイレゾだったら音の幅が広いのが気持ちいいのですが、レコードはやはりアナログならではの音が気持ちいい。メディアに合った音を引き出すのも、この仕事の醍醐味ですね。
小沼 アナログでもデジタルでも、マスタリングをする人が聴いていて気持ちいいかどうかに委ねられているんですね。
堀内 すべてが同じである必要はないんです。聴いて気持ちが良いか。そして何より大事なのはアーティストの伝えたいことがきちんと伝わるかどうか。これは常に考えています。
小原 昔のミュージシャンではカッティングエンジニアを「バンマス」と呼ぶ人がいるくらいですもんね。俺たちの音はあの人にかかっている、みたいな。
宮田 それはスタジオ内でカッティングを行う強みでもありますね。アーティストやマスタリングエンジニアと話をして、細かな点まで試せますから。
アナデジで作るレコードは新しい音を生み出すか
ソニー・ミュージックスタジオにカッティングマシンが設置されたのが2017年2月。カッティングされたレコードは、若い世代のアーティストのものが続々と発表されている。自社での一貫生産の本格化は2017年度内を予定しているという。
堀内さんのようなCD世代のマスタリングエンジニアがカッティング技術を習得することで、レコードは制作現場もアナログとデジタルのいいとこ取りになっていた。デジタルとアナログのハイブリッドで作る「新しいメディア」。そこから、どんな音楽が生まれてくるのか。
最近はスピーカー搭載で難しい設定をせずに聴けるレコードプレーヤーが、1万円以下で手に入る。2017年11月3日の「レコードの日」のイメージキャラクターを女優ののんが元キリンジの堀込泰行と務めるなど、若い世代へのアピールも進んでいる。気軽に楽しめる環境と「レコードは今のカルチャー」というイメージが広がる中で、ラインアップが増えていけば、レコードに興味を持つ若者もますます増えていくはずだ。
(文 小沼理=かみゆ、写真 田口沙織)
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