著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は女優の美山加恋さんだ。
――子ども時代、引っ越しが多かったそうですね。
「いろいろな町に行きたいという母の考えで、20回引っ越しました。母は好奇心が旺盛でアクティブ。『次の町へ』と心を決めたらすぐでした。転々としたので『ここが私のふるさとです』という気持ちは薄いですが、その分思い出がいろいろな場所にあります。近い町に住んでいた人に出会うと話が広がりますね。苦労した点は学校で友だちづくりに時間がかかったところ。でも最終的には友だちが多くできたのでよかった」
――子役時代から活躍していました。
「保育園でみんなが昼寝をしているのに『どこに行くんだろう』と思いながら車で仕事場に向かいましたね。あまり状況が分かっていなかったけれど、6歳ごろになってせりふをもらえるようになると、意識するようになりました。母がよく使っていたフレーズが『これは遊びじゃなくてお仕事なんだよ』。『お金をもらうものなんだよ。厳しい世界だけどやりたいならやっていいよ』としっかりやるように指導されていました」
「5年生くらいまでは母と一緒に仕事現場に行っていて、大人と接するときの態度や話し方、マナーを教わりましたね。収録後に『うるさすぎたんじゃない』と叱るんです。劇団に入っていましたが、レッスンにあまり行けなかったので演技も全て母から学びました」
――厳しい人でしたか。
「特別厳しいわけではなかったと思います。母の指摘は『確かにそうだなあ』と素直な気持ちで受け止めました。もちろん、すねちゃうときもありましたけどね」
「うれしかったのが『やめたかったらいつでもやめていいよ』と常に言ってくれていたこと。期待しすぎない感じで私の意志を尊重して見守っている。感謝しています。母は押しつけなしに、自分自身で考えられるようにしてくれてました」
――家庭ではどうでした?
「家事など全部自分でやれるようになるというのがルール。2つ年上の姉も私も、中学生くらいから洗濯、料理、お金の管理は自分でしました。高校卒業時に一人暮らしを始めましたが、何一つ困らなかったですね。母の教えのありがたみを実感しました」
「親子というより姉妹みたいに一緒に遊んでいます。母が多趣味なのでパン屋さん巡りなど連れ回されてました。最近は秩父旅行に一緒に出かけました。厳しいときと『かまってよ』と甘えてくるときがあって。憎めないですよね。今は仕事の話はあまりしません。(無料対話アプリの)LINEで作品の感想はくれます。新しく始めた声優の仕事も『加恋の声じゃなくてキャラクターの声になっていたね』と褒めてくれました。また旅行に行きたいなあ」
[日本経済新聞夕刊2017年11月21日付]