にわかランナー、寒さに負けジーンズをはく
立川談笑
テーマは「寒いったらありゃしない」。弟子ふたりのマクラ話に続けて、師匠の私も寒~い話を披露します。
「あの人たちはどうして寒くないのかなあ」
と、いつも不思議に思っていたのが長距離ランナーの皆さんです。都内にあるウチの近所でもずいぶん見かけます。朝といわず夜といわず。冬の寒さをものともせずタッタカ、タッタカと、かなりの速さで汗だくになって走ってる。ずいぶん真剣な雰囲気に、邪魔になっちゃいけないってんで、我々通行人たちが思わずササッと避けて道をあけたりして。そうして、厚手のコートだとかマフラーをした人たちの間をサーッ!っとすべるように駆け抜けていく、その格好が半袖Tシャツに半パン姿だったりするのです。冬なのに。あれ、寒くないんでしょうかねえ、と思ってました。
■フル装備で「アスリート」
ところが、かくいう私も数年前から街なかをトットコ走り始めました。40歳をとっくに過ぎた、陸上競技経験ゼロのおじさんです。長距離ランナー同様とはいきません。それどころかランナーなんておそれ多い。なにしろほとんど走らずに歩いてるばっかりだから、どちらかというとランナーというより体の大きなシロクマに近いレベルです。
シロクマながらも街なかを走るのですから、まずは人目を気にします。スタイルだけは最初からいっぱしのアスリートを目指して、シューズからウエアから、スポーツ店でバッチリそろえました。キャップをかぶって、ミラーになったそれっぽいサングラスをかけて。CW-Xなんてランナー用のタイツなんかはいちゃって。アスリートっぽさが格段に増して、なんだかうれしい。
走れるときは朝からフル装備で街に出ます。ひたすらテクテク歩いて、気が向いたらトットコ走って。片耳に突っ込んだイヤホンからはお気に入りの音楽や落語が流れてきます。行きかう人たちや見慣れぬ街並みを「へー」とか「ほー」とか言って観察しながら、テクテク、テクテク。トットコ、トットコ。
昼メシをめどに帰宅するまでが、ざっと3~4時間で、スマホのアプリによると15~18キロメートルと素人にしては結構な移動距離になります。
寒くなってくると、防寒対策が必要になります。長そでのシャツ。さらにウインドブレーカーも。あとは手先が寒いからグラブ。これはスポーツ自転車用のものを買いました。重視したのは気密性と防水性。重さは考慮しません。なにしろこっちは本気で走るランナーじゃなくてほとんど歩いてるだけだもの。んでまたこのグラブが、無駄に頑丈でかっこいいんだ。
いよいよ冬本番。寒さが厳しくなってくると、これまでの防寒では限界です。肌が露出している部分がつらくなってきました。まず耳が冷たくて、痛い。あと、鼻先。ほっぺた。体の方は、タイツに長そで、手袋に帽子と完全防備ですが、わずかに顔のあたりが露出していてその部分だけが寒さに耐えられないのです。痛い。冷たい。楽しくない。
■公益とのはざまで揺れる
そこで、あれこれ選んだ揚げ句に導入したのが、ネックウオーマーです。首に巻くとゆったりし、上に持ち上げて口元あたりからジッパーを上げるとピッタリと顔にフィットする。フェイスウオーマーになる優れモノです。ジャージーのような素材なので、ぶかぶかじゃなくてぴったりとフィットする様子は、たとえるなら忍者の覆面です。「新造人間キャシャーン」が一番分かりやすいんだけど、いや、分かりにくいのか。
とにかくこれで懸案だった耳も鼻先もほっぺたも十分にカバーできる。寸分の隙もないとはこのことです。寒さを気にせず、どこまでも行ける。実にご機嫌な新装備の登場です。
ところが、ここで問題がひとつ浮上しました。ここまで、シューズ以外のアイテムすべての色が黒なのです。タイツも半パンも長そでシャツもウインドブレーカーも、グラブも、頭にかぶるキャップも。ここに黒のフェイスウオーマーを加えると、上から下まで黒ずくめ。これでサングラスまでかけると完全に誰だか分からない不審者になってしまいます。
素性をひた隠しにするスパイダーマンと同じ。黒ずくめの覆面男があちこちの町内でウロウロしているなんて、防犯上、迷惑以外の何ものでもありません。ううむ。
そこで、自分の中でひとつのルールをつくりました。フェイスウオーマー装着時にはサングラスは必ず外す。サングラスをかけたければ、鼻や口を露出させる。公益は防寒に優先するのです。寒いけど、仕方ない。
■驚くべき「ジーンズ効果」
そうこうするうちに、防寒だったら普通にジーンズでもいいのではないかとひらめきました。そうそう。汗だくになって疾走するランナーじゃないのです。ほとんど歩くのだからと、ジーンズが導入されました。タイツとジーンズの重ねばき。これは快適でした。
しかも、どうしたことでしょう。防寒効果はもちろん、驚くほど行動範囲が広がるではありませんか。これまでは、調子に乗ってあまりに遠くまで行ってしまって電車やバスで帰宅するときなんかは、車内で気まずい思いをしていたのです。
周囲の「どうしてこの人はこんなにスポーティーな格好で電車に乗ってるんだろう?」みたいな目線を感じるというか。要するに、その場その場に似つかわしくない服装をしている負い目を常々感じていたのです。
しかし、このジーンズ効果によって革命的に自由度が広がることになりました。これまでの、アスリートなのに区役所のトイレを拝借している、アスリートなのに喫茶店で一服してる、アスリートなのに映画館のシートで3D眼鏡をかけている、アスリートなのにパチンコ台に座ってる。そういった気まずさの一切から解放されました。やったー!
そしてそのまま、なし崩し的に街に出て走ることもなくなってしまいました。
「楽になる」のと「快適さを感じる」のは、似て非なるもののようです。
さぁて、今年も寒くなってきました。久しぶりにフル装備に身を包んで、街に出てみようか。気持ちよさそうだもんなあ。
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来週からのテーマは「映画」。楽しいマクラ話を頼むよ。笑二からいってみよう!
(次回12月3日は立川笑二さんの予定です)
1965年、東京都江東区で生まれる。海城高校から早稲田大学法学部へ。高校時代は柔道で体を鍛え、大学時代は六法全書で知識を蓄える。93年に立川談志に入門。立川談生を名乗る。96年に二ツ目昇進、2003年に談笑に改名。05年に真打ち昇進。古典落語をもとにブラックジョークを交えた改作に定評がある。十八番は「居酒屋」を改作した「イラサリマケー」など。
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
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