NYメトロポリタン歌劇場 オペラの生き残りかけ闘うピーター・ゲルブ総裁インタビュー

アデス「皆殺しの天使」 (C)Monika Rittershaus(提供=松竹/メトロポリタン歌劇場)
アデス「皆殺しの天使」 (C)Monika Rittershaus(提供=松竹/メトロポリタン歌劇場)

ニューヨークのメトロポリタン歌劇場(MET)が英国気鋭の作曲家、トーマス・アデス(1971年生まれ)の新作英語オペラ「皆殺しの天使」の米国初演(作曲者自身の指揮)でにぎわっている。

スペインのルイス・ブニュエル監督が1962年に製作した同名のシュールレアリスム映画のほぼ忠実なオペラ化。オペラを鑑賞した後にリーダー格の夫妻の豪邸でディナーが始まるが、従業員は執事1人を残して次々と辞めていき、翌朝になると、誰もが帰れない異常事態に気付く。死者や病人も出る極限状況の果て、ある機転で一瞬の開放に至るものの、それは次の幽閉の始まりでしかなかった……。

オペラ版はザルツブルク音楽祭とMET、ロンドン・コベントガーデンのロイヤルオペラ、デンマーク王立劇場が共同で委嘱、アデスと演出家のトム・ケアンズが共同で台本を執筆した。昨年夏、ザルツブルクの世界初演は大きな成功を収めたが、座席数3800と世界屈指の巨大オペラハウスのMETで10月26日から11月21日までのロングランが果たして成立するのか? 内外の音楽関係者が固唾をのんで見守る中での大入りは、舞台収録を映画館で上映する「ライブビューイング」をはじめ、あらゆるメディアを駆使したMETの集客作戦の勝利だ。オペラの生き残りをかけて闘うMETの総裁(ゼネラル・マネジャー)、ピーター・ゲルブ氏の話を聞いた。

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――「皆殺しの天使」は予想を超える好調と聞いた。

メトロポリタン歌劇場総裁、ピーター・ゲルブ氏(2017年11月10日、リンカーンセンターのメトロポリタン歌劇場内の執務室で。撮影=ニューヨーク 河内真帆)

「METには依然、名作の保守的上演といったイメージがつきまとっているが、新しい世代の新しい観客をひき付けない限り、未来はない。米国の音楽教育は60~70年代を境に衰退、テクノロジーやビジネスの習得にばかり重点が置かれるなか、文化は危機にひんしている。オペラのように高度な芸術は生き残りをかけ、絶えず柔軟な挑戦が欠かせない。今は、戦争(War)といってもいいくらいに厳しい状況だ。『皆殺しの天使』は初日に先立ち、『ニューヨーク・タイムズ』紙などの地元メディアが全面的な支援を買って出てくれたこともあって街中の話題となり、若く新しい観客の獲得に成功した。音楽はヴェルディやプッチーニほど取っつきやすいものではない代わり、とてもパワフル。初期の電子楽器オンド・マルトノも加わり、素晴らしく幻想的な響きが立ち上る。幽閉された金持ち全員、15人が主役級の力を持つ歌手で構成され、見た目はシンプルながら、音楽的な手ごたえは大きく深い。熱狂的に反応する観客の姿に、私は一筋の希望の光をみた」

――METでアデスのオペラがかかるのは、2012年の「テンペスト」以来2作目だ。

「ひとたび信頼に値する作曲家だと認識したら、普及や評価の確立に1作では不十分だと考えるのが現在のMETの方針。ジョン・アダムズ(47年生まれ)はすでに何作も手がけ、定番となった。最近ではアデスに続き、彼より10歳年少の米国人作曲家ニコ・ミューリー(81年生まれ)に注目している。ロンドンのイングリッシュ・ナショナル・オペラ(ENO)で評判をとった『2人の少年』を13年にMETで上演したところ、大変に評判が良かったので目下、アルフレッド・ヒッチコック監督の映画『マーニー』(64年)に基づく新作オペラの作曲をENOと共同で委嘱中だ。ライブビューイングは米国内で25万人の観客を獲得したが、『皆殺しの天使』のような同時代の新作でも13万人がみたとすれば、大成功といえる」

――ライブビューイングの幕あいインタビューの最後はいつも「もし気に入ったら、まずは地元の劇場、次はMETに足を運んでください」との言葉で終わるが、メディア戦略は実際の観客動員にどの程度、役立っているのか。

「昨年(15~16年)のシーズン、年間観客数が久しぶりの増加に転じた。ウィーン国立歌劇場(1709席)やミラノ・スカラ座(2030席)など欧州のハウスの約2倍の規模を持つMETを埋めるための闘いにおいて、私がとった戦略は3つ。まず有料のライブビューイングと無料の公共テレビ、ラジオ中継、SNS(交流サイト)など多様なメディアを組み合わせ、わざわざニューヨークまで来なくても、世界の人々が居ながらにしてMETの観客となるようにした。日本は時差の関係で生中継が難しいが、土曜の昼公演はカイロ、エルサレム、モスクワ、オスロ、ウルグアイ……と、びっくりするくらい多くの街で楽しまれている。ドイツ語圏ではニューヨークの午後1時が午後7時と、オペラ鑑賞のゴールデンタイムに当たり、平均3万人がみる。このうち2000~3000人がウィーン市民とされ、国立歌劇場の公演1回分に匹敵する。ニューヨーカーの多くは同じ演目を実演、ライブビューイングの2度楽しんでいる。ドイツは全国各地にオペラハウスがあるにもかかわらず、ライブビューイングが気に入り、ニューヨークを訪れた際に必ずMETの舞台に触れる人が増えつつある。オペラ文化のグローバル化を素直に喜びたい」

「第2のポイントはチケットの価格。よく『METのチケットは高額だ』といわれる。世界の多くの歌劇場が国や地方自治体の支援で運営されているのに対し、METの収入に占める公的補助金の割合は0.5%未満。チケット収入への依存度は相対的に高まるが、私たちは数百ドルの高額チケットから25ドルの当日券まで、とても広い幅の料金を設定している。この『民主的価格方針』によって、あらゆる世代・階層のオペラ愛好者に門戸を開いてきた」

「第3には『観客に優しい演出』。欧州でも音楽ビジネスに携わった経験から、ドイツ語圏の劇場が演出家主導でストーリーを大胆に読み替え、奇抜な視覚で歌手や観客に多大の負担をしいる傾向は、私の流儀ではないと確信する。半面、古色蒼然(そうぜん)の舞台を死守し、劇場を博物館にしてしまう愚も犯したくない。私は、ステージ上の視覚がストーリーを正しく、丁寧に語る演出に主眼を置いてきた。保守的な観客も挑戦者も、(例外的な作品はあるにしても)オペラには美しいものを求めている。新しい視覚で観客を絶えず刺激する義務を私たちは負っているが、行き過ぎはダメだ」

マスネ「タイース」の舞台 (C)Ken Howard (提供=松竹/メトロポリタン歌劇場)

――「皆殺しの天使」と前後してみた「タイース」(マスネ)では題名役のアイリーン・ペレス(ソプラノ)、アタナエル役のジェラルド・フィンリー(バリトン)とも傑出した歌唱。METの名に恥じない舞台だったが、往年の歌手に比べ、日本での知名度が低いのが残念に思える。

「私はレコード会社の社長を務めたこともあり、今日の歌手の置かれている状況の過酷さを理解している。80年代まではCDやビデオディスクを通じ、知名度や人気を国際的に高めることができた。今やディスクの売り上げは世界的にガタ落ちし、市場は衰退している。代わって、この部分でも、ライブビューイングの効果と貢献度が上昇しているように思う。今シーズンも3演目でライブビューイングに登場するソプラノ、ソニア・ヨンチェーヴァはポストディスク時代のメディアを介し、スターダムに躍り出た好例といえる」

――日本でも今シーズンのMETライブビューイングが11月18日、ベッリーニの「ノルマ」で始まった。だが、いかに素晴らしい映像でも、出発点には実演のリアルタイム感、興奮が存在する。METの日本公演は11年、東日本大震災直後の困難な状況下で敢行したのを最後に途絶えていて、残念だ。

「すべては経済の問題。外国ツアーを政府間の文化交流ではなく、完全に民間興行として行わなければならない私たちにとって、日本行きは高額になり過ぎた。代案の一つに考えているのは、メトロポリタン歌劇場管弦楽団単独のツアー。次期音楽監督のフランス系カナダ人指揮者、ヤニック・ネゼ=セガン(75年生まれ)はフィラデルフィア管弦楽団の音楽監督としても、すでに日本公演を成功させた。21年のMET正式就任を待たず、ネゼ=セガンとのオーケストラ公演を日本で行う方向で目下、調整を続けている。私自身も小澤征爾指揮ボストン交響楽団の広報スタッフに採用されて以来、100回以上は日本を訪れてきた。だが総裁職には上演管理から組合との折衝に至るまで24もの職務が厳格に規定されており、22年の契約満期まで、ニューヨークを一歩も離れられない境遇にある」

(聞き手はコンテンツ編集部 池田卓夫)

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