雑談が弾む日は売り上げも増 働き方をデータで改革
日立製作所研究開発グループ技師長・矢野和男さん(後編)
「困難な挑戦をするには、人やお金だけあっても不十分で、精神的な原資が必要です。それこそがハピネス(幸福)」と語るのは、日立製作所の研究開発グループ技師長・矢野和男さん。同社では「組織の幸福度が高いほど、知的生産性は上がる」、それをデータから検証する研究を行っています。前編の「不幸な社員、体の動きで察知 アプリで助言、職場強く」に引き続いて、幸福度を高めて知的生産性を上げるためには、どのようなことを実践すればいいかを詳しく伺います。
ハッピーな人、アンハッピーな人とは?
白河桃子さん(以下、敬称略) 例えば、「人は追い込まれたほうが成果が出やすい」という話が昔からありますけど、実際のところはどうなのでしょうか。
矢野 そこが非常に重要な部分です。それこそが、まさにハピネスなんですよ。
米国に「PNAS(米国科学アカデミー紀要)」という研究雑誌があります。そこで発表された論文の中に、興味深い話が載っていました。
短いアンケートを取るスマホアプリを使って、「今、何をしていますか?」「今、どんな気持ちですか?」という質問の回答を大量に取ってみたところ、「今の気分は、いまいちです」と答えた人たちの数時間後に増えている行動は、気晴らしや運動、散歩でした。
一方「今、調子がいいです」と答えた人の数時間後に増えている行動は、しんどかったり、面倒を感じていたりしていても大事なことをやっているんです。
つまり、アンハッピーな人は、やる必要のないことをやっている。ハッピーな人は、困難でしんどいことをやっている。逆に言えば、ハピネスという原資がないと、しんどくて困難なことには挑戦できないということです。
困難な挑戦をするためには、人やお金だけあっても不十分で、精神的な原資が必要です。それこそがハピネス。ハッピーな人は、困難な状況になるとよりがんばれますし、逆にアンハッピーな人は、そういった状況に置かれると、ますます力が出なくなるのです。
白河 ハピネスが困難に挑戦するための原資……素晴らしいですね。
幸せは、がんばった後にやって来るのではない
矢野 では、ハピネスについてもう少し深く考えてみましょう。心理学者のチクセントミハイによると、様々な職業の人の行動を調べた結果、充実感がある人たちには、ある大きな特徴があったそうです。
簡単な図を使って説明します。チャレンジ度が高く、スキルも発揮できる「フロー」(図右上)の状態に入ると、その人は目の前の作業に没頭し、それ自体をエンジョイして、やればやるほど充実感を感じます。
白河 逆に、チャレンジしてもうまくできなければ、ハッピーではなくなってしまいますよね。
矢野 そうです。チャレンジしても、スキルがなかなか発揮されない状況は、この図でいうと左上の「不安」にあたります。また、スキルは発揮できていても、チャレンジ度が低い場合は右下に含まれ、「余裕」が出てくるといえます。チャレンジ度が低い上に、スキルも発揮できないと、「無気力」になってしまいます。
ただし、人はどんどん習熟していきますから、今「フロー」にいても、同じことをやっているとチャレンジ度が低くなってきて、「余裕」のエリアに落ちてきてしまうのです。
白河 ちょっとしたチャレンジがないと、充実感が落ちてきてしまうんですね。
矢野 そうです。そういうことを自分自身がコントロールできるようにすると、よりフローに居続けることができ、充実した時間を増やせるのです。
この話を10年以上前に知った時、ほかにも非常に印象的だったことがありました。私たちは、幸せや良い状態というのは「今がんばったら、その後にやって来る」と捉えがちですよね。
しかし、チクセントミハイ先生は、何十年もにわたる研究で、「幸せとは、その瞬間にやって来るものだ」という結果を出したのです。
白河 まさに、「今」を生きろということですね。
矢野 そうです。今を幸せに生きるには、少し背伸びをしたり、ジャンプしたりしないと届かないようなチャレンジをやってこそだということです。
では、そういう状況が起こりやすい行動とは何でしょうか。研究結果では、その一つにロッククライミングが挙げられています。超フローになりやすいんです。
白河 ロッククライミングですか。一歩一歩が判断と挑戦の連続ですものね。
矢野 あと、最もフローになりやすい仕事は、外科医です。
白河 なるほど、確かに外科医は、一瞬が命取り。チャレンジの連続ですね。外科医は後に引きずらない性格の人が多いと聞いたことがあります。
矢野 以前、ある外科医に、「しばらく手術をしていないと、切りたくてしょうがなくなるという話は本当ですか」と聞いてみたら、「本当です」と言われました。
ムードメーカーが生産性を上げる
白河 データを解析すると、これだけは共通するというポイントはありますか。
矢野 一つ共通して言えるのは、休み時間の雑談が弾んでいる日は、それ以外の日よりも生産性が高いということです。これは日本だけでなく、世界中ではっきり出ている特徴です。
白河 雑談ですか。面白いですね。働き方改革は無駄をなくし、雑談もしないで生産性をあげると思われがちですが、逆なんですね。
矢野 雑談なので、中身のある話ではないと思うんです。ただ、非言語的な部分、人との共感関係のようなものが、無意識のうちに人の様々な能力を上げているんだと思います。
白河 すごくハッピーだけど、生産性は低いということはあるのですか。
矢野 それはあります。かつて、こんな実験結果が出たことがありました。コールセンターの中で、ごく平均的な成績のAさんがいました。個人業績だけを見ると特別優秀なわけではありませんが、Aさんがいる日といない日では、コールセンター全体の受注率が全然違うのです。
おそらくAさんは、先ほども触れたように、雑談が楽しいとか、ムードメーカー的存在なのかもしれません。周りの雰囲気を良くして、非常に間接的な形で全体の業績に貢献しているということです。
ところが、縦割りに一人一人の業績だけを見てしまうと、その人の全体に対する貢献が分からないんです。データがあるからこそ、見えてきたことですね。
矢野 以前、野球日本代表の監督をされた小久保裕紀さんとお話をする機会がありました。小久保さんによると、野球はメンタルによる影響が非常に大きいので、監督はベンチの雰囲気をものすごく気にするそうです。バッターボックスに立っているのは一人でも、チームのほかのメンバーたちがものすごく影響を与えているんですよね。
白河 個人だけでなく、チームの生産性という観点や評価も大事。ベンチにいる時の雑談とか声援が、選手たちに大きな影響を与えているということですね。
数字ではなく、幸福度からフィードバック
白河 もう一つ、矢野さんにお聞きしたいことがあります。多くの企業は、知的生産性を測るのが非常に難しく、みなさん困っているのです。どのように測ればよいでしょうか。
矢野 知的生産性は、結局のところ、国内総生産(GDP)や利益でしか測りようがないんですよね。
白河 そうですよね。以前、ユニリーバ・ジャパン・ホールディングスの島田由香取締役を取材した時、彼女は「生産性=幸性(しあわせい)」と言っていました。「生産性と幸福度は連動しているから、まずはあなたの幸性を高めましょう」と。
矢野 生産性と幸福度は非常に連動していますが、生産性を示す数字、例えば利益やGDPなどは、様々なアクションをしてから数字に反映されるまでタイムラグがあります。
前回、日立の営業600人に実験をした話をしましたけれど、幸福度の上がり具合が業績に反映されてくるのは、次の四半期なんです。
しかし、それは当然のことです。日立のシステム営業のお客様はほとんどが法人です。新しい提案をしても、お客様の会社で報告や会議をしたり、しかるべき役職者の承認を得たりしなければ、予算は計上されません。今日営業をして、その日に受注をもらえることは、ほとんどないわけです。
このように、数字とアクションから結果が出るまでは、タイムラグがある。ということは、逆に言えば、結果の数字からフィードバックするのではすでに遅いということです。
そこで、日々の幸福度を計測して営業の人たちにフィードバックすれば、問題があれば素早く対応できます。組織の幸福度が、業績の先行指標になるということです。今回の実験で、それが明確になったと思います。
白河 今は働き方改革ブームです。IT、AIの分野は、多くのビジネスチャンスがあると思うのですが、この研究を、働き方改革に生かしていくことは考えていらっしゃいますか。
矢野 もちろん考えています。もっとコストを抑えて、より導入しやすい形にできるよう、色々準備しています。これからご期待いただければ幸いです。
あとがき:働き方改革の取材をしていくと、改革の途上で「職場の関係性がよくなる」という現象が起きています。例えば労働時間を以前よりも短くしようとチーム全体で取り組むと、密にコミュニケーションをすることが不可欠で、協力の過程でチームの「関係の質」が上がるのです。ギスギスチームがワクワクチームに変わっていく。すでにMIT(マサチューセッツ工科大学)のダニエル・キム教授が提唱した「組織の成功循環モデル」で明らかにされていますが、「関係の質」の向上が最終的に「成果の質」につながるというモデルです。
日立のこのプロジェクトは、まさに「関係の質」から「成果の質」につながる循環をAIを使って検証、さらに「成果」への示唆までアドバイスする興味深い試みです。
集団のハピネスと知的労働の生産性について、ユニリーバの島田さんがおっしゃっていた「生産性=幸性」が証明されたわけです。
とにかく「ハピネスは人が困難に挑戦するための原資」という言葉に、とても納得しました。
少子化ジャーナリスト・作家。相模女子大客員教授。内閣官房「働き方改革実現会議」有識者議員。東京生まれ、慶応義塾大学卒。著書に「婚活時代」(共著)、「妊活バイブル」(共著)、「『産む』と『働く』の教科書」(共著)など。「仕事、結婚、出産、学生のためのライフプラン講座」を大学等で行っている。最新刊は「御社の働き方改革、ここが間違ってます!残業削減で伸びるすごい会社」(PHP新書)。
(ライター 森脇早絵)
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