川田知子25周年のバッハ無伴奏バイオリン
バイオリニストの川田知子さんがデビュー25周年を迎え、J・S・バッハの「無伴奏バイオリンのためのソナタとパルティータ」全6作品のレコーディングに挑んだ。前半3作品のCDを7月に発表し、2018年1月に2枚目を出して全2巻が完結する。バイオリニストの聖典であるバッハ「無伴奏」の魅力を聞いた。
バイオリン1本だけで壮大な宇宙を作り上げたといわれるJ・S・バッハ(1685~1750年)の「無伴奏バイオリンのためのソナタとパルティータ」はソナタ3つ、パルティータ3つの計6作品から成る。ソナタは各4楽章、パルティータは各4~7曲で構成。全曲演奏にCD2枚分の約130分を要する大作だ。中でも「パルティータ第2番」の長大で深淵な終曲「シャコンヌ」は名曲として誉れが高い。
■最高峰のバイオリン独奏曲に挑む機会が到来
「これまでもレコーディングの依頼を受けてきたが、恐れ多くて断っていた。でもそろそろ挑んでもいいかなと思えるようになった」と川田さんは今回のレコーディングに臨んだ心境をこう語る。3月に1回目、6月に2回目の録音をした。まず1回目の録音をCD「J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ BWV1001-1003」(発売元 マイスター・ミュージック)として7月にリリースした。「ソナタ第1番」「パルティータ第1番」と「ソナタ第2番」の前半3作品を収めている。18年1月には後半の作品番号「BWV1004-1006」に当たる「パルティータ第2番」と「ソナタ第3番」「パルティータ第3番」を収めた2枚目のCDを出して全2巻を完結させる。
腕の立つバイオリニストでもバッハの「無伴奏バイオリンのためのソナタとパルティータ」の全曲演奏や録音には慎重になる。シゲティ、ミルシテイン、グリュミオーら20世紀のバイオリンの巨匠たちがこぞって全曲録音をしてきたからだ。
とりわけヘンリク・シェリング(1918~88年)の67年録音盤は比類のない名盤として最高の評価を受け続けている。ユダヤ系ポーランド人としてナチスが台頭し始める30年代のベルリンとパリで学び、第2次世界大戦中のポーランド亡命政府への支援活動を経てメキシコに帰化したバイオリニスト。作品に真摯に向き合い、虚飾を排した気高い演奏だ。祈りのような研ぎ澄まされた単旋律、重音の多声による感情のほとばしり、静謐(せいひつ)な余韻と無音の瞬間、精緻で厳格な構成美。政治に翻弄されつつも、音楽家としての自身を育んだドイツとドイツ音楽、バッハへの深い愛情を感じさせる。
こうした名盤や名演に傾倒するファンが多いだけに、生半可な気持ちで取り組むわけにはいかない。レパートリーに入れても入れなくてもバイオリンを弾く者にとって最高峰の作品であることに変わりはない。川田さんはレコーディングに向けて改めて様々なCDを聴いたそうだが、インタビューで真っ先に挙げた名前はやはりシェリングだった。
ただ、シェリングに限らず「どのCDやレコードを聴いても皆さんそれぞれ素晴らしい」と川田さんは言う。「どのバイオリニストも人生の深い淵をのぞき込み、自分と対峙する演奏を実現している」。では「無伴奏」の偉大なレコード芸術史に彼女はどんな一ページを書き加えるのか。「深い淵をのぞき込んでしまった私自身をさらけ出すしかない。同じ曲であっても私自身を聴いてもらえる、そんなCDにしようと思った」。たった一人で弾くバッハの「無伴奏」こそ、アーティストの人生観や個性が出る音楽だと捉えている。「これから人生経験を重ねていく中で、演奏が進化すればさらに変わっていく。現時点でのバッハを録音しておこう」と考えたようだ。
■「動く重音」による多声をバイオリン1本で表現
現代にはシェリングら20世紀の巨匠たちにはなかった別の事情も生じている。ピリオド楽器(時代楽器)と呼ばれる、作曲当時の仕様による古楽バイオリンを使った演奏や録音が隆盛をみせているからだ。バッハが活躍した18世紀前半の響きを忠実に再現しようという試みが古楽器奏者によって盛んに行われている。彼らは現代のスチール弦ではなく、羊腸を素材にしたガット弦を張るなど、当時の仕様に作り直した古楽バイオリンを弾く。バッハの「無伴奏」でもジギスヴァルト・クイケン氏や寺神戸亮氏らが古楽バイオリンで名盤を残している。
川田さんは現代仕様のバイオリンを弾く演奏家だ。しかし「古楽の響きを知ってしまった世代としては、古楽の奏法を無視するわけにはいかない」。そこで彼女が採った手法は「モダンと古楽の共存」ということだ。「現代仕様の楽器を弾きつつも、古楽の響きを取り入れるよう努力した。私の演奏は決してバロック時代の古楽ではない。でもバリバリのモダンでもない。バロックとモダンの暴風雨の中に立って自分の方向性を定めた」と話す。こうして川田さん独自のバッハ「無伴奏」が生まれた。
川田さんは東京に生まれ、4歳からバイオリンを始めた。東京芸術大学に在学中の1989年、第36回伊パガニーニ国際バイオリンコンクールで5位に入賞。東京芸大を首席で卒業後、91年の第5回独ルートヴィヒ・シュポア国際コンクールで優勝し脚光を浴びた。現在の東京芸大学長の澤和樹氏らに師事。日本を代表する実力派バイオリニストの一人として国内外で活躍している。今回のバッハ「無伴奏」を含め多数のオリジナルCDアルバムを出している。レパートリーはバッハやモーツァルトからタンゴのピアソラまで幅広い。ギターの福田進一氏、チェンバロの中野振一郎氏、バイオリンどうしのデュオで会田莉凡さんなど、レコーディングの共演者もユニークで多岐にわたる。
これまで様々な作曲家の作品を集めたアンソロジーが川田さんのCDアルバムの中心だっただけに、今回のバッハ「無伴奏」の全曲録音には気概が感じられる。「自分がまさかバッハの『無伴奏』を全曲録音することになるとは夢にも思わなかった」と言う。小さいころから苦戦を強いられた作品だったそうだ。
演奏のどんな点が難しいかと聞くと、「4弦しかないバイオリンで重音を弾くこと自体が困難。高音を聴かせることができても、足で操作するオルガンの低音部のように、同時に低い音を鳴らして聴かせるのが難しい」と答える。「単なる伴奏の和音ではない。対位法によって低音がポリフォニック(多声的)に動いている」。同じ重音の箇所でもわずかな時間の経過の中で一音増えたり抜けたりして移り変わっていく。そうした動く重音を聴き手にちゃんと伝えるのは容易ではない。バイオリン1本でオーケストラや弦楽四重奏のような多声的な雰囲気を生み出さなければならない難曲だ。
■残らない音も残っているように錯覚させて弾く
今回の映像では、川田さんがバッハの「無伴奏バイオリンのためのソナタ第1番ト短調BWV1001」から第1楽章「アダージョ」を弾いている。1枚目のCDの冒頭に収めてある曲だ。10月25日、彼女が講師を務める洗足学園音楽大学(川崎市高津区)の一室。崇高な悲哀に満ちた重音がいきなり部屋に響き渡った。それに続く澄み切った単音の旋律。かすかな弱音が引きずるように旋律の余韻をにじませる。「無伴奏」が大作である理由を聞くと「本来は旋律1本の楽器であるバイオリンのために技巧を尽くした作品だから」と答える。「残らない音も残っているかのように聴き手を錯覚させて弾かなければならない」と説明する。
川田さんの今回のCDを聴くと、精緻な構成美の中にみずみずしい響きが感じられる。同じ曲なのに、どのCDにも似ていない。「川田知子」という芸術家だけのバッハが鳴っている。バイオリニストによっては独自に装飾音を加えて弾いたり、演奏技術の高さを誇示したり、といった録音も見受けられるが、そうした小細工は孤高の本作品に限って通用しない。川田さんはシェリングと同様、楽譜に真摯に対峙し、バッハが意図した音を誠実に再現しつつ、自身の内面も見つめ、個性としての深淵を生み出している。
響きは弱音の残り香を含め、どこまでも明瞭で透明感がある。かといって美しい響きだけではなく、作品全体の構築性を見通す骨太さも備えている。精密な消音も行われているため、一瞬の無音や曲が終わった後の沈黙も美しい。強弱のある一音一音の存在感をはっきり示す、確信と気品のある演奏だ。「ソナタ第1番」第4楽章「プレスト」の速い楽想は、鋭い線が空を切るような疾走感に満ちている。最大の難曲「シャコンヌ」を含む後半のCDにも期待がかかる。
最近は様々な楽器によってバッハの無伴奏曲が演奏されるようになってきた。今年の注目盤の一つは、マリンバ奏者の加藤訓子さんが5月に出したCD「J.S.バッハ:マリンバのための無伴奏作品集」(発売元 Linnレコーズ、輸入発売 東京エムプラス)。10月27日には東京カテドラル聖マリア大聖堂(東京・文京)で「加藤訓子『バッハを弾く。』」というコンサートが開かれ、加藤さんが「無伴奏バイオリンソナタ第2番」「同3番」などをマリンバで演奏した。マリンバ独特の弱音と残響音を駆使し、現代音楽のように斬新なバッハが大聖堂に響き渡った。バッハ作品の懐の深さを聴衆に印象付けたマリンバ公演だった。
■直筆譜を読み込んでバッハの真意に迫る
フルートやオーボエなど管楽器でもバッハの無伴奏曲が演奏される。単旋律を基本にしつつも重音が頻繁に登場する曲なので、コード弾きをしやすいギターにも向いているはずだ。さすがに遊びではあるが、エフェクターで持続音を確保しながらエレキギターで弾いてみても意外に面白い。自由度が高く、アレンジもしやすい作品だといえる。しかしそれだけに、バイオリンで原曲を弾くとなると、個人の感性と技術に基づいて原典の本質を純粋に再現する努力が必要になる。
川田さんは「ありがたいことにバッハの直筆譜が残っている」と言いながら、楽譜をバッグから取り出した。ゴシック体のような黒々とした太い線できちょうめんに書かれた「無伴奏バイオリン」の直筆譜だ。同じバッハの無伴奏曲集として双璧をなす「無伴奏チェロ組曲」には直筆譜は残っておらず、バッハの妻のアンナ・マグダレーナが一部作曲したのではないかという異説までくすぶり続けている。直筆譜が存在する「無伴奏バイオリン」の方は疑いようもなく正真正銘のバッハの作品であり、バイオリニストとして完全に信頼してバッハの真意に迫っていけるから「ありがたい」のだ。
直筆譜の黒々と太い筆跡を見れば、一音たりとも飛ばしたり変えたりすることなく、忠実に明確に弾くべきだと考えたくなるはずだ。「バイオリンの弦4本ではとても弾ききれないことまで書いている。運指まで書き込んでいる箇所がある。その通りの指使いでないと弾けないのにわざわざ書き込んでいる」。川田さんはきれいに印刷された楽譜ではなく、癖のある手書きの直筆譜に基づいて「無伴奏」を分析し、演奏している。「直筆譜を見れば、バッハが何を考えて作曲したかに思いをはせることができる」。バッハの意図をどこまでもくみ尽くすには理想のアプローチだろう。
川田さんと一緒に直筆譜を眺めてみた。「このスラーがどっちの音符にまでかかっているか、見分けづらいでしょ」。スラーとは複数の音符を弧でくくって滑らかに演奏することを指示する記号のこと。確かにどちらの音符にまでスラーの弧が伸びているか分かりにくい。「スラーのかかり方などちょっとしたことで大きな議論が生まれている」。きれいに印刷された楽譜では、バッハのこうした微妙な記譜が実際にどう判断されて刷られたのか、見えなくなる。川田さんは直筆譜からバッハのほんの小さなつぶやきまでも読み取ろうとしている。バッハの生の声が現代によみがえる。
(映像報道部シニア・エディター 池上輝彦)
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