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がんこフードサービスの小嶋淳司会長

がんこフードサービスの小嶋淳司会長

「高度経済成長期からバブル期にかけては、自分の力ではなくフォローの風に乗った」。がんこフードサービス会長の小嶋淳司氏はそう語る。だが、好景気なら誰でも成功できるわけではない。資金もコネもない青年が外食チェーン「がんこフードサービス」を築くことができたのはなぜなのだろう。(前回「『時価をやめよう』が原点 がんこ寿司、28歳で1号店」参照)。

陰口に「だったら見ておれ」と思った

大阪の十三に1号店を出したばかりのころの話です。4坪半の小さな店でしたが、わざと「大将」ではなく、「社長」と呼ばせていました。理由は特にありません。そのほうがなんとなくおもしろいだろう、と思ったのです。

店の2階で住み込みの若い衆と寝泊まりしていました。新しい布団も買えないほどでしたから、何かしてあげられることはないかと考え、夜ごと店を大きくする夢を語っていました。けれど、まったく信用されていませんでした。

「うちの社長は大ぼら吹きや」。従業員がそう陰口をたたいているのが偶然、耳に入りました。それを聞いて、その場にへたり込んでしまうほどがっかりしました。

従業員に信頼されない経営者ほど、みじめなものはありません。ならば「大きな店をつくってみせる」と決意しました。その直後、パチンコ店が閉鎖するので、そこに店を出さないかという話が舞い込み、すぐさまそれに飛びついたのです。

4坪半の店から120坪の大店舗へ

4階建てのビルで、広さは合計で120坪ありました。小さなすし店を1軒持っているだけの身からすれば、明らかに分不相応な話です。資金もありませんでしたが、私は「何としてもここを借りたい」と思いました。

内装ごと引き取ることが条件でしたから、機械を撤去しなければ商売にはなりませんし、多額の保証金も必要でした。都市銀行へ融資をお願いに行きましたが、案の定、全く相手にされませんでした。そこで大阪で一番小さな金融機関はどこか、と探しました。そうしたら木造の民家を店舗にしているような、小さな信用金庫が見つかりました。

幸運だったのは、そこの大口預金者で社外理事だった人がしょっちゅう、私どもの店に食べに来てくださるお客さんだったことです。融資を決める会議の席で、その人が「よく頑張っているし、すしもおいしい。判は押さんけれど(人物は)保証する」と言ってくださったおかげで融資が下りた。このことは後になってから知りました。

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