
「本を読んでいる時やパソコンを使っている時でも、人は微妙に体が動きます。この動きを解析すると、今やっていることが当人たちにとっての幸せにつながっているのか、明確に分かるようになってきました」と語るのは、日立製作所の研究開発グループ技師長・矢野和男さん。同社では人の身体の動きをウエアラブルセンサーで測定し、組織の幸福感や活性度を計測するという技術を開発、実証実験を行っています。矢野さんに詳しく伺いました。
研究のきっかけはドラッカー

白河桃子さん(以下、敬称略) とてもユニークな研究で、働き方改革にも関係が深いのでずっとお話を伺いたいと思っていました。矢野さんは、どういったきっかけで幸福と生産性に着目されたのでしょうか。
矢野 私は、若い頃から幸福とは何かということについて関心がありまして。ヒルティの「幸福論」(岩波文庫)が愛読書だったんです。
もともとの専門分野は理論物理でした。80年代前半に理論物理の研究をしていた当時、世の中は、素粒子や物質などの原理を明らかにするだけではなく、より複雑なものの原理を明らかにしようという流れがありました。そこで、私は科学的に人間や社会をより深く理解するような研究をやってみたい思いがあったんです。
入社してから20年間は、ずっと半導体の開発をやっていました。ところが2003年に日立が半導体事業から撤退することになりまして。それまでの20年間に培ってきた人脈や技術などを、一度リセットしなければならなくなったんです。
半導体開発に携わっていたメンバーと一緒に、次にやる新しいことを考えていく中で、「これからはデータが重要になるのではないか」という声が上がりました。世の中の流れから考えると、随分早い発想だったのですが。
では、どんなデータを取っていこうか。議論を重ねていくうちに、人間そのもののデータを測定しようということになりました。私たちは、小さくて電池の持ち時間の長い回路の開発にたけていたので、そういった技術を使って、人間を測定することにしたのです。
白河 人間を測定するのですか!
矢野 きっかけは、ピーター・ドラッカーの著書「明日を支配するもの」(ダイヤモンド社)でした。その中に「20世紀の偉業は、製造業における肉体労働の生産性を50倍に上げたこと。続く21世紀に期待される偉業は、知的労働の生産性を、同じように上げることである」と書かれています。次に何をしようか考えているときに、この言葉が目に入ってきて、「これだ!」と思ったわけです。
白河 知的労働の生産性を上げることを、科学的、技術的な側面からアプローチしようということですね。まさに働き方改革の課題です。
矢野 そうです。まずは、03年あたりから測定を開始しました。最初は実験的で、一日のうちの一部しか測れませんでしたが、06年になると24時間ずっと人間の身体の動きを測定できるリストバンド型や名札型のセンサーを開発しました。
無意識の動きと「幸福度」に相関

白河 まるでアップルウオッチのようですね。このセンサーで、どのような測定をしているのですか。
矢野 加速度を測定することで、人の身体の動きのデータを取っています。私は、06年3月16日に着用を始めて以来、11年間のすべてのデータをコンピューターの中に保存しています。
白河 お風呂に入るときも着用するんですか?
矢野 お風呂のときだけは外します。これがデータの出力結果です。青い部分ほど静止していて、赤い部分ほど活発に動いていることを示しています。
夜、寝ている部分は青くなっています。また、青い部分がズレているところは、海外出張のときです。米国の西海岸だと16~17時間の時差がありますから、日本にいるときと比べると、その分、周期がズレていますよね。
こうしてデータを取るうちに、面白いことが分かってきました。歩くとか、立ち上がるとかといった大きな動きよりも、もっともっと微細な動き、本人も意識していない小さな動きが、ものすごく雄弁であることに気付いたのです。
例えば、本を読んでいるときやパソコンを使っているときでも、人は微妙に体が動きます。実は、この小さな小さな動きを解析すると、今やっていることが当人たちにとっての幸せにつながっているのか、明確に分かるようになってきました。
ハッピーな人には、非常に大きな特徴があるんです。人間の動きは、動くか止まるかを繰り返していますよね。一度止まった状態から動き始めて、次に止まるまでの長さを1日単位で計測すると、幸せな人たちは、その長さに非常にばらつきがあることが分かりました。短い動きから長い動きまで、多様性があるということです。
逆に言うと、アンハッピーな人たちは、この長さがみんなそろってくるんです。
白河 面白い! アンハッピーな人は特徴的な動きなんですね。