ソロギターから湧き出る音の連鎖 笹久保伸
故郷の秩父に2008年から拠点を置いて独自の活動をしているギタリスト、笹久保伸の公演を見た。ブラジリアン・グループが「ランバダ」と改題して世界的に知られるボリビアの曲「泣きながら」でスタートした。
ソロによる正々堂々の公演は、笹久保の27枚目となる新作アルバム「ギター」(アオラ)の発売を機にしたもの。ペルーを中心とする南米属性の曲と、2曲のオリジナルをギター1本で演奏した「ギター」は、彼にとって原点回帰と言えるアルバムだという。同作収録曲を中心に、過去に発表した曲なども加え、休憩を挟んで計2時間のステージ。うち2曲では余芸を超えた歌声も聞かせた。
こんこんと湧き出る泉のように、彼が構えるギターからはアナログ感覚に満ちた音が溢(あふ)れ出す。目をつぶって聞いたなら、とてもひとりで演奏しているようには思えない。印象的な楽曲メロディーや様々な弦の押さえ方や爪弾(つまび)き方を介して、独自の抑揚をもつ音がこれでもかと連鎖し、思いもかけないような文様を描く。コノ郷愁ハ、コノ胸騒ギハ何ナノダロウ? まさしく未知の感興を聞く者に与える。
ところで、日本にプロとして活動するギタリストはたくさんいる。ロック、ソウル、ジャズ、ブルース、フラメンコ、ボサノバと、それぞれに専門の分野を持って活動している。ギターという楽器の汎用性の高さが、その奏者の数を多いものにしているのだ。そうした状況のなか、南米ペルーの奏法を根本にすえるギタリストは笹久保伸だけではないか。20歳から4年もの間ペルーに住み、様々な奏者たちに教えを請い、多くの音楽家と交流しながら、現場の演奏流儀を身につけた。そして才能を認められ、かの地で13作ものアルバムも出している。
石灰石採取のため日々破壊されていく秩父の武甲山で38年ぶりに絶滅危惧種生物、ミヤマスカシユリの自生地が発見されたことに材をとる「ユリの記憶」という静謐(せいひつ)な味わいを持つ自作曲も、万感の情とともに披露した。そういえば「秩父前衛派」という名前を掲げ、笹久保は音楽だけでなく同地の風土や文化に根ざした写真や映画、文献を積極的に発表している。たとえば7月には「武甲山―未来の子供たちへ―」(キラジェンヌ)という写真集も上梓(じょうし)した。
おそらく笹久保はペルー在住時も秩父に住む現在も、表現姿勢に大きな違いはないのではないか。居住する地にしっかりと足をつけ、人々の営みやその伝統を凜(りん)と見据え、そこに根ざした音楽を自らの問題意識を介して解釈している。それゆえ彼の一見マニアックな表現群はグローバルな訴求力を持つアートにまで昇華するのだ。ペルーと秩父の環境を思うまま行き来する彼のギターの調べを聞いていると、そんな思いにもとらわれてしまう。
笹久保は1曲ごとに演奏曲の由来を丁寧に説明し、近況を伝える話をはさむ。そのMCはけっこう長いものだが、実は必然性がある。彼は2台のガット・ギターを両側において演奏したが、どちらを弾くにしても周到にチューニングを施す。それは各曲異なるチューニングで演奏するためだ。簡便に扱うことが可能なギターは演奏者が抱える癖を付与しやすく、それこそトラディショナルなギター演奏だと、調弦方法は無限に存在する。そして、笹久保はそれぞれの楽曲を最良の姿で送り出すために、一弦一弦の音階や響きを自分の耳で精査しながらじっくりと整える。その作業は気が遠くなるような緻密さともに、ギターという楽器が持つブラックホールのような広がりを感じさせる。そこには、ギターという楽器を究めた者の厳しさと孤独があった。
なんてギターは厄介な楽器なのだろう。だからこそギターは奥深く、人の心に訴える力にも富む。そんな事実も感じさせられた夜だった。これからも我が道を悠然と行く笹久保の表現活動はどのように進んでいくのか? 興味はつきないし、注視していきたい。10月5日、ライブハウス「晴れたら空に豆まいて」(東京・代官山)。
(音楽評論家 佐藤英輔)
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