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がんこフードサービスの小嶋淳司会長

がんこフードサービスの小嶋淳司会長

ねじり鉢巻きの料理人を描いたロゴでおなじみの和食・すし店「がんこ」。今では回転ずし店やトンカツ店も手掛けるがんこフードサービスの小嶋淳司会長は「若くても、結果を出せば評価してもらえるのが商売の世界」と語る。1963年、大阪・十三に小さなすし店を構えてから半世紀以上が過ぎた。関西を中心に95店舗を展開する外食チェーンを築きあげた原点は、病に倒れた母親に代わり、実家のよろず屋を切り盛りした高校時代の経験にあるという。

学業と商売、二足のわらじを履く

経営の世界では「現場」「現物」「現実」の三つをよく見なければものごとの本質は見えてこないという意味で、「三現主義」という言葉を使います。私の人生を振り返ると、商売の理屈も何もわからないまま、高校生でいきなりそうせざるを得ない環境に置かれたことが、かえってよかったと思います。

生まれは和歌山県南部の上富田町。当時は「朝来(あっそ)村」といい、田辺(現在の田辺市)というやや大きな町と白浜温泉に挟まれた、のどかな村でした。兄2人と姉3人がいる、6人きょうだいの末っ子です。実家がよろず屋でしたから母はとても忙しく、私は小学校にあがるまで子守さんに育てられました。

私が9歳のときに父が亡くなり、ひとりで店を切り盛りしていた母が倒れたのは、私が高校生のときでした。兄たちは大阪で商売をしており、姉3人はすでに嫁いでいました。家に残っていたのが私ひとりでしたから、義兄から「店をどうする?」と聞かれました。

誰にも「継げ」とはいわれませんでしたが、祖父や母が苦労して兄弟6人を育ててくれた店をここで閉めるわけにはいかん、という思いがありました。でも、「できれば卒業だけはしておきたい」と思い、学業と商売、二足のわらじを履くことになったのです。

店の仕入れをしてから登校、夜は鼻緒をすげた

高校は田辺にありました。そこに地方問屋がありましたから、登校前にそれを回って相場を調べ、商品を仕入れる。姉の嫁ぎ先である親戚の家に届けてもらい、学校が終わると、大きな風呂敷にそれを包んでバスに乗って帰りました。

昼間はお手伝いさんに店番を頼み、学校から帰ってきたら交代し、店を閉めてから、明くる日に売る商品の準備を始めます。店では一品残らず値札を付けていました。値段の下に、商品の特色も書いておく。そうすれば、私がいなくともお客さんに説明できます。

翌日に売る下駄の鼻緒をすげながら、疲れてそのまま寝てしまい、翌朝、お客さんが店の扉を叩く音で目が覚めることもありました。それでも、不思議と苦にはならなかった。しんどいとも思いませんでした。要するに、商売が性に合っていたのでしょう。

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