ツィメルマン四半世紀ぶりのソロ盤 新潟・柏崎で録音
クラシックCD・今月の3点
クリスチャン・ツィメルマン(ピアノ)
ポーランドのピアニスト、クリスチャン・ツィメルマン(1956年生まれ)は1978年に初来日して以来、一歩ずつ日本の聴衆や文化と距離を縮め、いつしか東京都内にも居を構えるようになった。公演地を飛び回り、ホテル暮らしを続けるのは「時間の浪費」と悟り、その土地の人々とじっくり心を通わせる生き方を選んだ。自身の職能は「感情を一人でも多くの人に伝え、日常とは異なる世界の休息を与え、『あなたは独りぼっちではない』と励ますためにある」といい、演奏家の社会的責任を強く意識する。
2007年7月16日、最大震度6強の新潟県中越沖地震が発生、震源の日本海沖に近い柏崎市は大きな被害を受けた。ツィメルマンはすぐさま柏崎でのチャリティーコンサート開催を決めたが、体調不良のために中止を余儀なくされた。1年後、自腹で日本を訪れ、7月15日の「中越沖地震1周年復興祈念コンサート」に出演。柏崎市に100万円を寄付した。当時の市長から「被災した市民会館に代わる施設の建設を計画中」と聞いたツィメルマンは、新ホールでの演奏を約束した。
復興のシンボルとして建てられた柏崎市文化会館アルフォーレは被災5周年の12年にオープン。15年11月28日、ツィメルマンは8年越しの約束を実現し、リサイタルを行った。11年3月の東京滞在中には東日本大震災も体験し、福島第1原子力発電所の事故に強い衝撃を受けていた。柏崎でのリサイタル終演後は新ホールの音響を絶賛し、「ソロ・アルバムを制作する計画があるのだが、ぜひこのホールで収録したい」と申し出た。
ツィメルマンは自己に非常に厳しく、楽器の調整やスタッフの人選にも入念を期すあまり、せっかくセッションを組んだのに「お蔵入り」となった録音も少なくない。特にソロ盤は91年録音(94年発売)のドビュッシー「前奏曲集」以来、四半世紀も途絶えていた。また、シューベルト最後のソナタやベートーヴェンの後期作品には特別な畏怖を抱き、なかなか人前で弾こうとしなかった。ところが16年12月の還暦(60歳)をにらみ、シューベルトの第20&21番と正面から向き合い、人生の新しい扉を開こうという心境の変化が、レコーディングへの重い腰を上げる原動力になったのだという。
15年11月から16年1月までの日本ツアーでじっくり、この2曲を弾き重ねたツィメルマンは16年1月21~26日の6日間と、異例の長時間を費やして柏崎市内に滞在し、録音セッションに集中した。
震災から10年、アルフォーレ開館から5年の節目に完成したアルバムの印象を一言でいえば「希望の光」だろうか。晩年とはいえ、31歳10カ月の若さで亡くなった青年作曲家は最後のピアノ曲を通じて死の恐怖を克服し、音楽の永遠に希望を託した。ツィメルマンが随所で聴かせるリズムの切れ、明るく透明な響きは従来の「遺作ソナタ」の解釈に比べると異色かもしれないが、はっきりとした確信に貫かれている。強いメッセージは柏崎市民だけでなく日本、世界の多くの人々を励まし、生きる力を与えることだろう。
シューベルト歌曲(リート)の傑作、「楽に寄す」の最後の一節(ショーバー作詞)、「いとしい芸術よ、心からの感謝をささげます」を思い出さずにはいられない素晴らしい音楽の時間が流れる。(ユニバーサル)
ジョセフ・ウォルフ(指揮)
兵庫芸術文化センター管弦楽団
漆原朝子(ヴァイオリン)
英国の作曲家エドワード・エルガー(1857~1934年)の作品は日本では、毎年夏にロンドン名物の「プロムナードコンサート(プロムス)」で盛大に演奏される行進曲「威風堂々」と、ヴァイオリニストがアンコールなどで好んで演奏する小品「愛のあいさつ」だけが突出して有名で、交響曲やオラトリオなど大規模な作品は滅多に演奏されない。
例えば1908年初演の交響曲第1番の日本初演は2度の世界大戦をはさんで72年後の80年6月30日、東京文化会館のジェイムズ・ロッホラン指揮日本フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会まで持ち越された。60分近い大曲ながら、どちらかといえば穏やかな曲想が当時の日本の聴衆にはなじみにくかったのか、素晴らしい終楽章の途中で席を立った何人かの姿を今も思い出す。事態が変わったのは80年代末。尾高忠明がBBC(英国放送協会)ウェールズ交響楽団の首席指揮者に就任して以降、レコーディングや日本のオーケストラの演奏会でエルガーを積極的に紹介し、ファンを増やしていった。
ウィーン出身の名手クライスラーが10年に初演したヴァイオリン協奏曲も辻久子の独奏、福村芳一指揮京都市交響楽団による日本初演まで66年を費やした。古風でロマンチックな作風と超絶技巧が組み合わさり、演奏に50分近くを要するため、海外でも敬遠するソリストは少なくない。日本人で正規録音盤を制作した奏者は今まで、93年の竹沢恭子ひとり。管弦楽はコリン・デイヴィス指揮バイエルン放送交響楽団、レーベルはRCA(現ソニー)だった。
ヴァイオリン協奏曲をディスクに収めた2人目の日本人も女性。竹沢の同世代に当たる漆原朝子だ。今年(2017年)4月21~22日、西宮北口の兵庫県立芸術文化センター(PAC)大ホールで行われた兵庫芸術文化センター管弦楽団定期演奏会のライブ録音を編集した。指揮は英国の新進、ジョセフ・ウォルフ。「コリン・デイヴィスの息子」と呼ばれるのをよしとせず別姓でキャリアを築き、09年以来ほぼ毎年来日している。佐渡裕を芸術監督にいただくPACオーケストラは、世界の若手奏者の育成を目的に05年発足。35歳以下のコアメンバーに国内外を代表する名手が加わり、独自の覇気を醸し出す。今回の公演では豊嶋泰嗣がコンサートマスターを務めた。
エルガーの楽譜を正面から見すえ、一時の外面的効果には目もくれず、楽曲の構造や内実をじっくり解き明かそうとする再現芸術家の使命感において、ウォルフと漆原の意識は完全に一致している。その落ち着いたたたずまいはしばしば、ライブ録音であることを忘れさせるほどの出来栄えである。2枚組で演奏会の順序とは逆に1枚目を交響曲、2枚目を協奏曲としたアルバムの仕様も、漆原の傑出した演奏を意識しての措置だろう。(ナミ・レコード)
仲道郁代(ピアノ)
日本を代表するピアニストの一人がデビュー30周年を記念、少女時代から傾倒してきたシューマンのピアノ曲と改めて向き合った。米国で暮らしていた14歳のとき、巨匠ホロヴィッツの演奏会でアンコールに弾かれた「トロイメライ」(「子どもの情景」の中の1曲)を聴いた瞬間に啓示を受けたという。日本での研さんを経てミュンヘン音楽大学へ留学した結果、ドイツ音楽との結びつきは一段と深まった。
最近の仲道の演奏に接するたびに感じるのは、1)デビュー当時から際立っていたフワッと聴き手を包み込むオーラ、2)早くに取り組んだアウトリーチ(学校や病院など演奏会場の外に向けた、音楽の出前活動)の蓄積からくる解釈のわかりやすさ、3)必要とあらば古楽器にも触れて究めた様式感と奏法、4)ドイツで身に付けた論理的思考などが混然一体となり、独自の世界を構築していることだ。小柄でかわいらしい雰囲気だが、発言には芯があり、演奏の着地点を見すえた視線にもブレがない。
シューマンの大規模なピアノ曲を代表する「交響的練習曲」「幻想曲」の2作では、そうした仲道の円熟、味の濃い解釈を堪能できる。とても不思議に響くのは、冒頭に置かれた3分40秒の小品「ロマンス」だ。自らしたためた解説の最後で「シューマンの非日常の世界、夢と憧れと苦悩の世界。最初に演奏する『ロマンス』が、そんな世界への扉をそっと開いてくれると思います」と、仲道は選曲の意図を明かしている。今年4月18~20日、カラヤンが愛用したベルリンのイエス・キリスト教会でのセッション録音。(ソニー)
(コンテンツ編集部 池田卓夫)
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