9.11を生き延びた一本の木 人々が樹々に託した思い心に響く 樹々の物語(2)

日経ナショナル ジオグラフィック社

2017/10/29

人と自然の関わりをテーマに多くの作品を発表してきた写真家ダイアン・クックとレン・ジェンシェルは言う。「木は私たち人間がいなくても生きていけるが、私たちは木がなければ生きていけない」。木は、私たちが呼吸するための酸素や食物、燃料、住居の材料を与えてくれるばかりでなく、思索を深めたり、癒やしをもたらしたりもしてくれる。

人々の文化を形づくり、無数の人生に影響を与えてきた美しい木々に敬意を表しつつ、木が果たしてきた役割を理解することで、私たちにとって木がいかに重い意味を持つかを知ることができる。そのように大切な木々の物語を世界中から集めた写真集が、ナショナル ジオグラフィックの『心に響く 樹々の物語』だ。ここではその中から、「再生」「友好」「愛」を象徴する3つの木の物語を紹介しよう。

米国ニューヨーク州にある国立9.11追悼博物館のマメナシ。通称「サバイバーツリー」(Photograph by Diane Cook and Len Jenshel)

9.11を生き延びた「サバイバーツリー」

日本を含む東アジアおよびベトナム原産のマメナシは、1950年代のアメリカで都市部の街路樹に植えられることが多かった。病気に強く、さまざまな気候や土壌に対応して生き延びられるたくましさがあったからだ。だが、かつてロウワー・マンハッタンにあったリバティプラザ公園を彩っていた一本のマメナシに求められたのは、けた違いに過酷な環境を生き延びる強さだった。

2001年9月11日のテロ攻撃によって世界貿易センタービルが崩壊したあと、この木は、救助活動と復旧作業の最中に、ビルのがれきの下から出てきた。幹は焼け焦げ、ほとんどの枝は失われ、根はぼろぼろだった。だが、高熱にさらされたうえ、重いがれきの下敷きになっていたにもかかわらず、わずかながら緑色の新芽が吹いていた。

ブロンクスの園芸場へ持ち込まれた木は、ニューヨーク市公園レクリエーション部の職員の手当てを受けて、見事に立ち直った。リハビリが終わると、この「サバイバーツリー(生き延びた木)」は、9.11追悼博物館のサウスプール(南池)脇に再び植えられた。サウスプールは、かつて世界貿易センタービルのツインタワーが建っていた場所に設けられた、二つの人工池のうちの一つだ。マメナシは早咲きのため、春になると追悼施設の中で最初に花を開き、最後に紅葉する。

世界貿易センタービルの跡地に立つ「サバイバーツリー」は、再生と力強さの象徴として人々に愛されている。

米国ワシントンDCのポトマック川に咲くサクラ(Photograph by Diane Cook and Len Jenshel)

日本と米国をつなぐ「友好の木」

1885年に初めて日本を旅行したエライザ・シドモアは、春にサクラを愛でる花見という日本の慣習に触れ、心を奪われた。シドモアは、ジャーナリストであり紀行作家であり、ナショナル ジオグラフィック協会初の女性理事でもあった。帰国するやいなや、シドモアはワシントンDCの一画を占める湿地帯に、数千本のサクラを植えて美化しようという計画をつくり、働きかけをはじめた。だが、その提案に賛同する人は、年を追うごとに減っていった。

それから数十年後、シドモアと、同じくサクラを愛してやまない植物学者デビッド・フェアチャイルドの二人はようやく、ポトマック川沿いの湿地をサクラ咲く美しい憩いの地に変えようという彼らのアイディアを採用してくれそうな政権を見つけた。後押ししてくれたのは、やはり花見の季節に日本へ旅行したことのある人物で、ファーストレディーになったばかりのヘレン・タフトだった。1909年、大統領夫人はシドモアとフェアチャイルドの計画を急いで進めるよう、ウィリアム・ハワード・タフト大統領を説得した。それによって、悪化しつつあった日米の緊張関係が和らげばという思いもあった。

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