偶然ですが、BXDの監査役の一人も海城の同期で、しかも、私が家出した時に泊めてもらった間柄。彼は一橋大学に進み、別の大手外資系コンサルティング会社を経てバンダイナムコに入りました。二人とも、まさか一緒に仕事をすることになるとは夢にも思いませんでしたが、これも、海城の同窓生が高い目線でキャリアを歩んでいるからこそ、どこかでつながることができたのだと思います。

数年前、海城の学園祭に呼ばれ、キャリアについて講演した。

打診された時もちょっとびっくりしましたが、さらに驚いたのは、教頭先生らと事前の打ち合わせをした時です。学園祭は、子供を海城に入れようか迷っている父兄も大勢来るので、本来、学校側としては、学校にとってネガティブな内容の話はしてほしくないはず。ところが、私が、アルバイトの話や家出の話もしてもいいか聞いたら、全然構わないとの返事でした。

この時、今の海城はもはや昔の海城ではないなと感じました。私が在籍していた頃の海城は、成績表を張り出したり内部進学組と高校受験組をいきなり一緒のクラスにしたりして、生徒の競争意識をあおり、その結果、全国有数の進学校としての実績を毎年、残してきました。しかし、同時に、生徒を偏差値でがんじがらめにする結果、私のように成績の悪い生徒は学校での居場所がない、アウトローは受け入れてもらえない、そんな雰囲気があったのも事実です。

それが今は、生徒の多様性を認め、生徒の自発的なチャレンジをたたえる文化に変わってきた。母校を訪れた時にそれを強く実感しました。もしそうでなければ、問題児だった私が講師として呼ばれるはずがありません。

学園祭の講演では、在学中の私の問題児ぶりを暴露した上で、こんな話をしました。親は子供のためを思って人生のレールを敷きたがるが、仮にそのレールを外れても、子供にはいろいろな未来がある。レールから外れたことを責めたり嘆いたりするのではなく、子供を温かく見守り、背中を押してやってほしい、と。子を持つ親の本音でもありました。

1時間ぐらいの講演でしたが、ふと気が付くと、教頭先生がボロボロと涙を流していました。お母さんたちもあちこちで泣いていました。ここは演歌歌手のコンサート会場かと思いました(笑)。でも、みんな子育ての中で悩みを抱えているから、共感してくださったのかなって。

人って、正解は常に一つしかなく、正解以外はすべてダメみたいな感覚を持ちがちですが、私自身の人生を振り返って思うのは、人生って人それぞれいろんな道があるということです。途中、道を外れることもあるかもしれないけれど、私みたいな人もいるので、「レールの外にこそ未来はある」と伝えたいです。

(ライター 猪瀬聖)

<<(上)「学年1位からビリに転落」 ドリコム社長の海城時代

「リーダーの母校」の記事一覧はこちら

マネジメント層に必要な4つのスキルを鍛える講座/日経ビジネススクール

会社役員・経営幹部の方を対象とした、企業価値を高める経営の実務に役立つビジネス講座を厳選

>> 講座一覧はこちら