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山崎ナオコーラさん 「母親だから」と気負わず生きる

日経DUAL

2017/11/8

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1978年、福岡県生まれ。国学院大学文学部日本文学科卒業。2004年、会社員をしながら書いた『人のセックスを笑うな』で第41回文藝賞を受賞し、作家活動を始める(写真:品田裕美)

 2016年、37歳で第一子を出産した作家の山崎ナオコーラさん。妊活、健診、保育園落選など、子どもが1歳になるまでの親と子の毎日をつづった出産・子育てエッセイ『母ではなくて、親になる』(河出書房新社)が、2017年6月に刊行されました。

 山崎さんが結婚や出産、育児を通じて感じた違和感は鋭く、誰しも共感・納得してしまうもの。1歳4カ月の子どもを育てている山崎さんに、育児を楽しくする秘訣や夫婦のあり方について話を聞きました。

■育児はつらいかと思ったら、楽しいことばかり

――子どもが生まれて最初の1年を振り返ると、どんな1年間でしたか。

 長いか短いかで言うと、短いですね。子どもがいるだけで夢みたいなので、毎日が天国のような感じで楽しくてたまらなかったです。

――本来なら育児は楽しいものだと思うのですが、乳幼児の母親に話を聞くと、育児はつらい、大変という声が聞かれます。山崎さんのように、ストレートに楽しい、と言える人は、逆に珍しいのではないでしょうか。

 どんなことでもそうだと思うのですが、人はそれぞれで、同じことでもつらい人もいれば楽しい人もいる。私の場合は子どもを産んで楽しいことばかりだったので、こういう人もいるよと、本にすることに意味があるのではと考えました。

 私自身、妊娠中に読んだ文章は「つらい」「大変」という言葉が多く、自分もそんな風になるのかな、と思っていました。でも、実際に産んだら育児が楽しくてたまらなくて。体質によって産後うつになってしまったり、子どもの個性によってはあまり寝られなかったりする人もいると思います。

 私の場合は体調のトラブルもなく、よく寝る子だったので、あまり寝不足になりませんでした。夫が思ったよりも育児をやっているので、精神的に切羽詰まっていない、というのもあると思います。

■自分で作り上げた理想像に苦しんでいる

 私は赤ん坊に対しても、自分らしくないことをする気はない。赤ちゃん言葉なんて決して発しない。母親っぽい声は出せなくていいや、と思う。
 妊娠中に、「母ではなくて、親になろう」ということだけは決めたのだ。
 親として子育てするのは意外と楽だ。母親だから、と気負わないで過ごせば、世間で言われている「母親のつらさ」というものを案外味わわずに済む。
 母親という言葉をゴミ箱に捨てて、鏡を前に、親だー、親だー、と自分のことを見ると喜びでいっぱいになる。(「母ではなくて、親になる」本文より)

――山崎さんのように、毎日育児を楽しく過ごすコツはありますか。

 理想が低いのかもしれません。私はもともと雑なタイプなので、家事も適当。ちゃんとやらないといけない、という意識が全然なく、家事ができなくて申し訳ない、と思ったことは一度もありません。

 女の人は女性だからちゃんとしなきゃいけない、と思い込んでしまっている人が多いけれど、男の人は家事をちゃんとやれていないとか、理想の父親像に自分が全然当てはまらないとか悩んでいる人はあまり見かけません。女性は自分で作り上げている理想像に苦しんでいるのかもしれません。

――妊娠中に女性らしさにこだわらず育児をやろう、と決めたそうですが、そう思われたきっかけは何ですか。

 妊娠中、夫に「もうじき父親になるんだから」と言ってしまったことがあり、何か違うな、と思ったんです。父親になるのではなくて、親になるのだから、夫に変わってほしいとか、違うキャラになってほしいと思うのは違う、と反省しました。ということは、自分も母親でなくて、親でいいんだな、と思いました。

 もちろん理想を持って出産に臨み、自分らしい出産をする人もすごいと思うし、母親になるんだと思って頑張る人もすごいと思います。そういう人はそういう人で素晴らしいと思うので、変えてほしいとは思わないのですが、みんながみんなそうではない。

 私のように、出産をステップにしたい、経験にしたい、などと思っていなくて、ただ無事に生まれてくればいいとしか思っていない人もいるし、母親の理想像はどうでもよくて、普通に愛情を込めて育てればいいや、と思っている人もいる。人それぞれでいいんだよ、ということが伝わるといいな、と思っています。

著書に、小説『浮世でランチ』『美しい距離』などのほか、エッセイ集『指先からソーダ』『かわいい夫』などがある(写真:品田裕美)

成果が出そうなことを努力する

 ところで、私と夫は、住民票を申請するとき、世帯主を私にした。(中略)
 そして、私は正直なところ、世帯主を私にして良かったなあ、とときどき感じている。市からの通知が私の名前宛てで届くことが、私たちの関係を良好にしているように思える。たとえば、選挙の投票所入場券も、私の名前宛てに送られてくる。それを持って夫と一緒に投票へ行く。もしも、この立場が逆だったら、私の感覚も少しずつ変わっていったのではないかと思う。小さなことでも、積み重ねると、思想は変化する。(「母ではなくて、親になる」本文より)

――男性だから、女性だからという性差や、夫婦の場合、世帯主は夫にする、といった定型に縛られない考え方をするようになったのは、いつからですか。

 自分としては、生まれつきのような気がします。女性としての美徳が自分には備わっていない。容姿もよくないし、よく気が付く、優しいといったいわゆる女性らしい性格でもない。かといって、それに向かって努力するのもしゃくだな、と。限られた人生の中で努力できることは僅かなのだから、自分に向いていて成果が出そうなことを努力したいと思ったんです。

 13年前に作家としてデビューをしたとき、当時はまだネットのリテラシーが低いこともあり、容姿を誹謗中傷されたことに傷付きました。何でこんなことを言われないといけないのだろうと思い、今まで以上に女性らしさに向けて自分は頑張らなくてもいい、と考えるようになりました。

 代わりに、自分は好きな仕事をちゃんとやっていて、一応それなりの収入がある、ということを美徳だと思い、自分に自信を持とうと思ったんです。

 夫は「町の本屋さん」で素晴らしい仕事をしている書店員で、優しくて人間的にいい人なのですが、業界柄、収入はそんなに多くはありません。それはとてもいいことだと思っています。なぜなら私のよさを分かってくれるから。

 もしも収入がたくさんある夫なら、妻は仕事する必要はない、となるかもしれませんが、夫の場合、私の仕事の大変さを理解してくれ、仕事をしていることを偉いと思ってくれています。この人との組み合わせなら、私が仕事をしていることが長所になる、プラスになる。

 性別にこだわらず、これが自分の長所だと思うことを見つけるといいと思います。世帯主の件は、名字は夫のものにしたので自分が委縮してしまうときがあるから、世帯主を自分にしたら精神バランスが整うかな、と考えました。

――エッセイの中でも、競争に勝つことだけでなく、多様性を大事にすることが大切だというお話が印象的でした。

 私自身、夫と知り合う前はものすごく向上心があり、都心に向かって引越をして家賃を上げて自分にプレッシャーをかけようとか、作家は文学賞をもらわないと絶対やっていけない、などと思っていました。

 結婚をして夫と暮らすうちに、他人からはいわゆる負け組といわれる人生だとしても、自分なりに楽しんで仕事をやっていける、自分の好きなことをやっているだけで自信を持って生きていける、と夫の考えを見習うようになりました。子どももそのような価値観を身に付けてくれたらいいな、と思っています。

(写真:品田裕美)

(ライター 平野友紀子)

[日経DUAL 2017年9月12日付記事を再構成]

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