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ヒットの原点

Gショック1億個、伝説はたった1行の企画書から カシオ計算機(上)

2017/10/19

公園のベンチに座ると、女の子がゴムボールをついて遊んでいるのが目に入った。「自分がしている落下実験と、どこか似て見えたんでしょうね」と伊部氏。魅入られるようにじっとボールの動きを見つめていると、ふと、中に時計の心臓部が浮かんでいるのが見えた。「その瞬間、頭の中でピカーッと光ったんです」と伊部氏は言う。

初代Gショック(手前)と実験で使用したボール大のサンプル

心臓部を宙づり状態にすれば衝撃は伝わりにくくなり、落としても壊れない。ひらめきは間もなく確信へと変わり、Gショックの構造設計が完成した。

■最初に売れたのは米国市場だった

伊部氏が完成させたサンプルはあまりにも構造上の制約が多すぎて、デザインする余地がほとんどなかった。それでも二階堂氏は悩みながら、黒と赤を基調にしたコンセプトに合ったデザインを編み出した。もう1人のメンバーである増田氏は、この時流に逆行した製品を「どう売るか」で悩んでいた。

「当時、腕時計の主流は薄型でした。売るためには営業の販売計画に入れてもらう必要があるのですが、国内はいくら説得しても『こんなもの売れない』の一点張り。唯一、興味を示してくれたのが、米国の販売部門にいた現地のセールスマネジャー。彼がおもしろがって販売計画に入れてくれたおかげで、なんとか出荷することができました」(増田氏)

初代Gショックの発売は83年4月だが、それから約10年間、国内では泣かず飛ばずの状態が続いた。先行して売れたのは米国だ。

「米国では最初から動いていました。というのも、発売の翌年、テレビCMを流したんです。Gショックをアイスホッケーのパックに見立てて、たたいても壊れないことをアピールした。すると視聴者から『誇大広告ではないか』という声があがり、現地の人気番組で検証することになりました」(増田氏)

ホッケーの選手がフルスイングしてたたいても、大型ダンプカーにひかせても時計は壊れなかった。結果的にそれが宣伝となり、消防士や警察官など野外で働く人たちを中心にユーザーが広がっていった。

■道路工事で働く人たちに使ってほしかった

開発の途中から、伊部氏は心の中で、ある明確なターゲットを思い浮かべていたという。

「実験をしていたころ、道路工事の現場を見たら、作業している人たちが全員、腕時計をしていなかったんです。壊れるからでしょうが、屋外で時間がわからないのは不便だろうなと思いました。だから、その人たちに使ってもらえる丈夫な時計を作ろう、と思っていました」(伊部氏)

国内でGショックが売れ始めたのは、90年代に入ってからだ。米国西海岸のスケートボーダーの間で流行し、それが日本に逆輸入され、ストリートファッション誌で取り上げられるようになった。情報をつかんだ増田氏が幹部を通じて取締役会に販売促進を働きかけたが、当初はなかなか理解してはもらえなかったという。

ブレークスルーのきっかけは、取締役の息子が発した「お父さん、Gショック買ってよ」のひとことだった。それを聞いて、上層部もようやくGショックが若者の間で流行していることを知った。当時も今も、開発者たちの苦労はそれほど大きくは変わらないものだ。

次回はエンジニアの伊部氏に、Gショックが彼の人生をどう変えていったのかを聞く。

(ライター 曲沼美恵)

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