「利きカレー」で富士登山 ご来光は拝めたのだろうか
立川笑二
師匠と兄弟子の吉笑とともにリレー形式で連載させていただいているまくら投げ企画、29周目。今回の師匠からのお題は「光るもの全般」。かつてないほどの難題に苦しみながら、26年の私の人生で光るものに関する記憶を掘り出してみると、ひとつだけあった。
私が落語家になる前、大阪でよしもとクリエイティブ・エージェンシー所属のお笑い芸人として活動しているときに、テレビの企画で富士山頂からご来光を拝む機会があったのだ。
私が出演させていただいたのは、大阪の毎日放送にあった「ロケみつ」という深夜番組だった。この番組は若手のお笑い芸人が体当たりの企画を行うバラエティーで、私が出演した企画は「GoGo ご来光! 富士山利きカレーブログ旅」というものであった。
今回はその番組のロケ中の事についてのお話。29投目、えいっ!
この企画のルールは、富士山5合目で13種類のカレーを食べた後に登山を始め、8合目まで登ったところでひとつのカレーを食し、5合目で食べた13種類のうちのどれと同じだったかを答える。正解の場合は山頂まで登ってご来光を拝めるが、不正解の場合は5合目に戻って翌日にやり直しという物であった。
私は3回目のチャレンジでようやく成功できたのだが、この企画の辛さは体力的なものではなく、精神的にくるものであった。私と一緒に登山する番組のスタッフさんがふびんでならないのだ。
当時の私は19歳だったが、担当の男のディレクターさんは40代。このディレクターさんはカメラも担当していて、登山をしている私を正面から撮るために、私の前に回って、後ろ向きに後ずさりするカタチで登山するのだ。3日間も。
これが登山だけならまだマシなのかもしれないが、8合目で私がカレーの種類を間違えて5合目まで下山するときも、後ろ向きで私を撮影しながら下山するもんだから転ぶ転ぶ。おむすびみたいにころころ転がっていく。それでも番組上、弱音を吐くのは私であり、ディレクターさんは私をいじめる立場だ。文字通り満身創痍(そうい)となっているディレクターさんがかすり傷一つない私に対し、「ボロボロじゃないですか。あっはっは」とコメントするのだから、上から見下ろすとわけがわからない。
結果的に最後のチャレンジとなった3日目の朝には、ディレクターさんの荷物持ちとして私たちの登山に同行していた20代のアシスタントディレクターさんに呼び出され、「あの人(ディレクター)のためにも絶対に今日で正解してください」と懇願される、カメラに映らない壮絶なドラマもあった。
そんな精神的プレッシャーにもなんとか耐えて、私は3日目に正解し、日の出の時間までを計算して8合目の山小屋で少し休憩をしたあと、ご来光に向けて山頂へ登ることができたのだった。
これでどうにか、利きカレーの方はクリアとなったのだが、この企画にはもう一つクリアしなければならないことがある。企画タイトルの「GoGoご来光! 利きカレーブログ旅」にも書いてある通り、企画が放送されている期間中、番組のホームページに私のブログが開設される。そこでブログを更新し、番組で自分の企画の放送が終わってからの24時間以内にコメントが1000件を超えないと、無条件に企画が打ち切りとなってしまうのだ。
私の企画の放送は全3回の予定であった。あの苦労を無にしないように(特にディレクターさんの)、必死にブログを書いていたのだが、2回目の放送直後のコメントが1000件に足らず、打ち切りが決まってしまった。しかし、利きカレーの方は正解していたので「特別に」ということで、私の顔にモザイク処理を施した状態で3回目の放送もあり、多少は報われることになった(特にディレクターさんが)。
ちなみに、放送ではモザイクがかかっていたので気付かれなかったが、富士山頂に座りご来光を迎えていたときの私は、すべてのプレッシャーから解放された安堵感からか完全に寝ていたので、厳密に記すと、私はまだご来光を拝んだことが一度もないのであった。
(次回10月22日は立川吉笑さんの予定です)
1990年11月26日生まれ。沖縄県読谷村出身。2011年6月に立川談笑に入門。前座時代から観客を爆笑させ評判に。14年6月、二つ目に昇進。出囃子(でばやし)は「てぃんさぐぬ花」。立川談笑一門会のほかにも、立川吉笑、立川笑坊ら一門、立川流の若手といっしょに頻繁に落語会を開いて研さんを積んでいる。
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
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