談笑、談志をしくじる 真打ち披露に師匠が来ない!?
立川談笑
マクラのテーマは「危なかったけど、助かった」。弟子の笑二、吉笑を受けて今週は師匠である私の番です。
もう10年以上も前の夏のこと。フジテレビの当時の恒例イベント「お台場冒険王」が開幕しました。局の総力をあげてのイベントは、私の携わる朝の情報番組「とくダネ!」のコーナーでも大々的に取り上げます。その年はひときわ力がこもっていました。
コーナーの時間は15分ほど。社屋内やその周辺の7カ所から生中継のリポートを次から次へとバトンタッチしていきます。しかも事前収録しておいた映像が絶妙のタイミングで差し込まれるという非常に凝った構成でした。他の中継地やVTRとタイミングを合わせて、すべてを一連の流れで見せるという生放送です。めくるめくマジックショーのような仕上がりで、あれは素晴らしかった。
生放送ですから、一発本番。ちょっとした失敗でも取り返しがつきません。出演者の動き、カメラワーク、スイッチの切り替えなどすべてがスムーズに連動しないと、全員の努力が台無しになります。打ち合わせは入念なものでした……と、ここまでが前振り。あくまで前振りです。別にここはピンチじゃあない。確かにあのイベントがらみの生中継では数々のピンチもありました。ある年は象の上から滑り落ちそうになったり、またある年はウォーターボーイズに交じって泳いで溺れかけたり。いやいや、話を本当のピンチに戻しましょう。
いよいよ生放送が翌朝にせまった日の夜。スタッフと出演者全員による最終打ち合わせがお台場でありました。もちろん出演者である私も同席しなければなりません。夜には落語会がありますが、自分の高座が終わってすぐに移動すれば打ち合わせにはなんとか間に合う。ところが! なんと、その夜は師匠談志も出演する会だったのです。トリを務める師匠の高座を見守ることもなく、「お先に~」なんてもってのほかです。さあ、困った。お台場では一発本番を控えて真剣に打ち合わせをしています。顔を出さないわけにはいかない。でもトリが終わる時間までここにいたら、間に合わない。でも先に帰るわけにはいかない。でも、でも、でも。
迷ったあげく、楽屋の談志におそるおそる切り出しました。
「ええ。あの、この後ひとつ仕事が……」
その言葉をさえぎるように師匠が言いました。
「おお、構わない。行きな行きな」
「はい。申し訳ありません。お先に失礼いたします」
ジェンガという積み木崩しのゲームがあります。「この駒を抜いたら崩れるかもしれない。危なそうだな。大丈夫かな?」と、おっかなびっくりチャレンジしてみたら、意外とあっさりクリアできた。そんな気分です。家元は「厳しい厳しい」なんて思われてるけど、本当は優しい人なんだ。この人の弟子になってよかった。晴れ晴れとした気分で打ち合わせにも参加でき、翌朝の一発本番もみんなの気持ちをひとつにしてみごとにやりおおせました。めでたし、めでたし……とはいきませんでした。
ほどなくして師匠のマネジャー氏から耳打ちをされました。
「おまえ、何か師匠をしくじったのか?」
我々の世界で『しくじる』とは、誰かのご機嫌を損ねることを意味します。
「今度のおまえの真打ち披露パーティー。『オレは出ねえ』って言ってるぞ」
頭の中でジェンガが音をたててガラガラと崩れ散りました。
「やっぱりダメだったか!」
落語家の真打ち披露に師匠が顔を出さないというのは、結婚披露宴に新郎新婦の両親が来ないようなものです。
青くなってすぐさま師匠のお宅にうかがいました。
「ああ。この時期な、おまえが一番気をつかわなくちゃならない相手は、オレなんだ。分かるな。そういうワケで、オレは出ねえから」
言葉少なにそういうと、別れ際に師匠はニヤリと笑顔を見せました。
(あっちゃー。これは、試されてる)
と私は即座に解釈しました。これは師匠からのネタ振りであって、この後に私がどう対処するかを見定められているのだ、と。もちろんそこには、「真打ち披露にはおまえのためにたくさんのお客様に来ていただくのだから、わずかでも失礼があってはならない。どこまでも気を配って油断をするな」、という戒めもあるのでしょう。それでも、師匠は本当に人の痛いところを見つけるのと、そこを効果的に攻めるのがうまい。って関心してる場合じゃあない。
さあ、どうしましょう。「許してくれるまで何度でも真剣に謝る」「仲介人をたてて、しかるべき人から口添えをしてもらう」
これはどちらも師匠に考えを改めさせる方向です。私の場合は、「師匠が決めたことには決して異議を差しはさまない」。いかなる手段といえども、弟子の側から師匠に翻意を迫るなんてとんでもない、というのが基本姿勢です。
「いらっしゃいませんか。はい。残念ですが、承知しました」
に尽きます。あくまでも逆らわない。アントニオ猪木の風車の理論です。って、違うか。
パーティーにはなんとしても来てほしいのが本音です。なんたって結婚披露宴の「両親」なのですから。師匠の不在はお客様にも失礼だし、なにより私が悲しいし。また、なんだかんだいって最終的には顔を出してくれるだろうとは思いながらも、そこを高をくくって、見透かされてもいけない。あれこれ考えたあげく、深刻な事態をひとり抱え込んで悩むのではなく、みんなと一緒に楽しむことにしました。なんたって落語家なんだもの。
「今度の私の真打ち披露、師匠の談志が来ないって言ってるんです~」
と、あちこちで積極的にネタにしました。高座でも楽屋でも。
「まさか」「家元らしいね」と驚かれ、また大いにウケたものです。調子に乗って談志の等身大パネルも発注しました。パーティー会場には、本人の代わりに発泡スチロール板の談志が黒紋付きに羽織袴(はかま)の正装でニッコリ笑顔で立っているという寸法です。
そしてパーティーの当日、談志は会場にやってきました。それも時間通りに。心底ありがたかった。また「師匠、来ないってよ」の噂を知っているお客様方は、その姿を見るなり大喜びでした。
「ああ、やっぱり来てくれたんだ!」
「さすが師匠。本当にやさしいんだ!」
ううむ。結局、どれほど弟子は右往左往しようが、最後にはいつも師匠がおいしいところをさらっていくのです。
会場で意外に人気だったのが等身大談志パネルでした。すぐそこのテーブルに談志本人が座っているのに、動かないパネルと並んで記念写真を撮る人の多いこと。理由を聞いてみました。
「だって、パネルだったら叱られたりしないもの」
わはは。そりゃそうだ。
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。「危なかったけど、助かった」話、でした。
◇ ◇ ◇
さてさて。次回は「光るもの全般」をテーマにしよう。まずは笑二から。
(次回10月15日は立川笑二さんの予定です)
1965年、東京都江東区で生まれる。海城高校から早稲田大学法学部へ。高校時代は柔道で体を鍛え、大学時代は六法全書で知識を蓄える。93年に立川談志に入門。立川談生を名乗る。96年に二ツ目昇進、2003年に談笑に改名。05年に真打ち昇進。古典落語をもとにブラックジョークを交えた改作に定評がある。十八番は「居酒屋」を改作した「イラサリマケー」など。
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
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