自分なりに頑張っていたつもりでしたが、周りにはそうは見えなかったようです。医師の目から人間の死をみつめた「がんばらない」がベストセラーになった時、剣道部の同期で作家の好村兼一君から連絡があり、「おまえらしいタイトルだな。合宿の時もよく練習を休んでいたからな」と変な祝福を受けました。

よく学校をサボった。

「学校をサボり、映画を見たり、ジャズ喫茶で本を読んだりして過ごした」と語る

西高時代の僕は、けっして真面目な生徒ではありませんでした。ときどき半日ぐらい学校をサボり、一人で荻窪や吉祥寺あたりの映画館に行きました。年間100本は映画を見ていたと思います。

映画はもっぱら、封切りしてから何年かたち、2本立てや3本立てで上映している作品を見ていました。ロードショーは入場料が高く、貧乏な僕には無理でした。ジャン=リュック・ゴダール監督の作品など、世界的に流行したヌーベルバーグ派の作品が特にお気に入りでした。

僕はのちに、チェルノブイリ原発事故を題材にした長編ドキュメンタリー「ナージャの村」のプロデューサーをしますが、西高時代に授業をサボってまで映画を見ていた経験が役に立ったと思います。映画は、語りを俳優の故・小沢昭一さん、音楽を小室等さんが担当し、文化庁優秀作品賞など国内外の数多くの賞を受賞しました。賞こそ逃しましたが、ベルリン国際映画祭にも招待され、上映では立ち見が出るほどの好評でした。素晴らしい経験でした。

映画だけではありません。何となく気分が乗らない日は、家を出ても学校には行かず、ジャズ喫茶で音楽を聴きながら、コーヒー片手に本を読んで過ごしました。このジャズの趣味も後年、イラクの難民キャンプやチェルノブイリ原発事故の放射能汚染地域で暮らす子供たちを支援する「がんばらないレーベル」の立ち上げにつながりました。この活動では、モダンジャズの大御所、坂田明さんら一流のミュージシャンを集めて制作したCD「ひまわり」が1億円を売り上げるヒットとなり、僕が代表を務める非営利組織(NPO)を通じ、現地の大勢の子供たちに薬を届けることができました。

本も大好きでした。特にドフトエフスキーが大好きでしたが、ちょっと背伸びしてサルトルや吉本隆明などもよく読みました。貧乏でしたし、母親が心臓病を患い長く入院していたせいで、子供のころに家族旅行をした思い出はありません。その代わり、小学生のころから、長い休みの時は図書館で何冊も本を借り、ひたすら本を読んで過ごしました。読書は小さいころからの習慣になっていたのです。