高3の3学期になると、大学受験準備のため、通学は週1日になりました。ところが、僕は担任から「学校に来て勉強しろ」と言われました。それほどサボっていたのです。
しかし、先生は寛容だった。
西高は、いびつな僕をちゃんと受け入れてくれました。学校をサボっても、試験の成績が悪くても、先生からそれをとがめられたことは一度もありません。態度を改めるよう言われたこともありませんでした。
先生たちは、僕が学校をサボって映画を見たりジャズ喫茶で本を読んだりする時間も、授業を受ける時間と同じくらい大事だと思ってくれていたようでした。学校で勉強しなさいという一言も、叱責というよりは、僕がちゃんと出席日数を満たして卒業できるようにという親心からでした。
僕に対してだけでなく、西高の先生たちは、生徒をくだらない理由で叱ることはけっしてありませんでした。受験校ですが勉強の強制もしない。こいつらは放っておいてもいつかは勉強するだろうから、信じて任せよう。そんなふうに生徒を信頼し、自由にやらせてくれる雰囲気が西高にはあふれていました。
授業の中身も、大学受験のためというよりは、学問の原点を教える、そんな授業が多かったような気がします。ただし、その代わりに受験勉強は自分の責任でしなければなりませんでしたが。
子供は、枠にはめたり一つの物差しで測ったりせずに伸び伸びとやらせてくれる環境で育つと、大人になってから、世の中の固定観念や世間の常識、つまらないしがらみにとらわれず、自分の物差し、価値観で物事を考え、行動するようになると思います。僕自身がそうだと思うし、同期の中にも、そうして活躍している人がたくさんいます。
(ライター 猪瀬聖)