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東京エレクトロン取締役相談役の東哲郎氏

東京エレクトロン取締役相談役の東哲郎氏

1996年、46歳で東京エレクトロンの社長に就任した東哲郎氏。就任後、しばらく業績は順調だったが、2001年に起きたITバブルの影響で業績が悪化、2期連続で赤字となり、03年に1000人の希望退職を募る大きなリストラを発表した。いったん会長に退くが、05年1月に会長兼最高経営責任者(CEO)として事実上のトップに復帰し、リーマン・ショックの危機を乗り越えた。「自分が情けなかった」と話す東氏に、社長就任後からの経験を語ってもらった。

 96年、社長就任の打診を受けた。考えあぐねている間に、「だらしない」と先輩社長に決断を迫られる。

46歳で社長に就任しました。当時、東証1部上場企業で40代なかばの社長なんていませんでした。僕はそのとき常務だったのですが、発表の数カ月前に「(次の)社長にするから」といわれたんです。僕としてはそういう目で見てくれるのはうれしかったけれど、戸惑いも大きかった。自分が大切にしている先輩が相当いるし、お客さんの幹部も年上の人ばかりです。

ほとんど無理、という思いで「ちょっと考えさせてください」といった。その後も2、3回話をしましたが、まだためらっていました。そうするうちに創業者や社長から、大迫力で決断を迫られた。「だらしない」と。自分たちは20代でこの会社をつくり、入社してくれた人たちも自分より年上ばかりだ、それでも優れた人と働かなければと、その一心でやってきたんだ、君にもそれができるはずではないのか、とこういうわけです。

「若さは重要なんだ」ともいわれました。この業界は大きく変化していくので、自分たちも変わりながら変化に挑戦できるエネルギーがこの会社には必要なんだ、と説得されました。最終的には、「ぜひやらせてください」と心を決めたんです。

 2001年にITバブルが崩壊し、東京エレクトロンは2期連続の赤字となった。1000人の人員削減を決断、みずからも社長を退く。

僕は社長になるとき、先輩たちにいわれていたことがありました。「この業界は非常に激しい。赤字になる可能性はある。でも2期連続はダメだ、それは経営者として失格だ」ということです。社長に就任後、海外拠点を増やすなどグローバル化を推進し、会社は順調に成長したのですが、01年にITバブルが崩壊しました。2、3年厳しい環境が続いて、いよいよその「赤字」を回避できなくなってしまった。

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