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立川談笑、らくご「虎の穴」

2017/10/1

立川談笑、らくご「虎の穴」

時差のトリックを使えなくなった今、僕に残された道は、この原稿を真っ当に書いて、そして真っ当に送ることだ。23時59分50秒くらいまでに原稿を書き終えて、それをコピーしてメールにペーストして、担当編集者に送る。10秒で送信までたどり着けるだろうか?

幸い、コピー&ペーストのショートカットキーは覚えているから、指定の範囲をドラッグさえしてしまえば、あとは文章ソフトとメールブラウザーのウインドウ選択だけ誤らなければ、スムーズに貼り付けることが可能だ。

とはいえ、目上の編集の方にメールを送るわけだから、ただ本文を貼り付けただけでは送信できない。件名を「立川吉笑です。」として、本文の頭には「田中健一様」などと相手の名前を記入するのが通例だ。そのあと「遅くなり申し訳ございませんが、以下今回の原稿になります。ご確認のほどよろしくお願い致します」と添える必要がある。

本文をペーストした後に、「吉笑」と署名を入れることも忘れてはならない。となると、これは結構な作業量がいるから、10秒だと間に合わない恐れがあり、23時59分40秒くらいには書き終える必要がある。20秒でなんとか送信作業を終えるしかない。

いや待てよ……。本文の頭のところだけど「田中健一様」と書くよりは「田中健一さま」にした方が、漢字ばかりが続くよりも見やすいかもしれない。「様」は漢字じゃなくて平仮名の「さま」にした方がいいか。うんそうしよう。

と、そんなことを書いている時間がもはや、もったいない。今は23時58分04秒。締め切りまで残り1分56秒。ついに2分を切ってしまった。

さっきから息を止めてこの文章を書いている。陸上の100メートル走の選手たちは息を止めて一気に駆け抜けると、どこかで聞いたことがある。確かに呼吸をしている時間があるなら、前に進むことにエネルギーを使った方がいいのだろう。

だから僕も息を止めて必死でこの原稿をパチパチしているのだけど、さっきから視界がぼやけてきていて、こんな時間なのに、なぜか外は明るく鳥たちが飛びかっている。この部屋には窓がないから、外の景色が見えることが不思議だけど、そんなことに構っている場合じゃない。

とにかく早く文章を仕上げないと、連載に穴が空いてしまう。それにしても息が苦しい、気がする。苦しいかどうか分からないけど、たぶん苦しい気がする。ここで一度息を吸った方がいいか、いや、息は吸わずにゴールまで駆け抜けるべきか悩む。息を吸った方がその後のパフォーマンスが向上して、結果、息を吸わないよりも早くに書き終えることができるかもしれない。

そんなことをしている時間がもったいないから、とにかく無心で文字を打っている。

現在23時58分05秒。ん、現在23時58分05秒? あれっ? さっきから1秒しか経っていない。どういうことだ?

この1秒で460文字ほどを僕は書いてしまったらしい。こんなスピードは夢みたいだ。確かに、さっきから、文章を書いているという気が全くしない。タイピングしているという気がまったくしない。頭の中に言葉が浮かぶと同時に手が動いていて、気づけば画面に文字列が生成されている、という感じでもなく、もはや、書くまえに文字が刻まれ続けている感覚に近い。パソコンの画面上に知らない文字が刻印されていき、自分はただそれを目でなぞっているだけのような感覚。もはや読んでもいない。いや、見ていない。僕はこの文章と一つになっている。いや、もはや僕がこの文章で、この文章が僕だ。こんな境地に自分がたどり着けるなんて。

現在23時58分05秒。ほら、さっきからまだ1秒も経っていない。僕はひたすら23時58分05秒の中にいる。

あいかわらず僕はこの文章をかいている、ランナーズハイみたいなことなのだろうか、さっきまで苦しいきがしたいきも、いまは苦しくなくて、それどころか清々しいきもちでいっぱいだったりするし、気づけば、ぼくは時間をとうの昔においぬいてしまっていたようで、とけいの針は23時58分05秒どころか、23じ58ふん04秒をさしているように見えるくらいのありさまで、それにさっきから文章がおわる気がしない、というのも句点が一切あらわれてこないし、それにさっきからなぜかひらがなが多くなっている僕のなかで漢字とひらがなのさかいめがあいまいになりパソコンの上においたはずの手はきづけばぱそこんとひとつながりになっていて、というかそのようにかんじられて、時計の針は23時58分03秒を指していて、だったらこのまま締め切りは来ないということだからこの文章を書かなくてもいいのだけど、でもどうせだったらこのまま時間をどんどん追い抜いてやろうと思う。

このまま戻って戻って時計の針が昨日の16時49分くらいを指す時まで戻って、そのとき京都にいたら、最後にもう1回おばあちゃんに会えるから。

(次回10月8日は立川談笑さんの予定です)

立川吉笑
 本名、人羅真樹(ひとら・まさき)。1984年6月27日生まれ、京都市出身。180cm76kg。京都教育大学教育学部数学科教育専攻中退。2010年11月、立川談笑に入門。12年04月、二ツ目に昇進。出囃子(でばやし)は東京節(パイのパイのパイ)。立川談笑一門会やユーロライブ(東京・渋谷)での落語会のほか、『デザインあ』(NHKEテレ)のコーナー「たぬき師匠」でレギュラーを務めたり、水道橋博士のメルマ旬報で「立川吉笑の『現在落語論』」を連載したり、多彩な才能を発揮する。
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