半導体のカリスマ経営者 27歳で学者断念し新興企業
東京エレクトロン取締役相談役の東哲郎氏(上)
東京エレクトロン取締役相談役の東哲郎氏
「27歳までは、学者になろうと勉強していたんです」。1996年、46歳で東京エレクトロンの社長に就任、2016年まで経営の第一線に立ち続けた取締役相談役の東哲郎氏。日本の半導体大手メーカーが消えゆくなか、同社を世界的な半導体製造装置メーカーに成長させ、「半導体業界のカリスマ経営者」とも呼ばれる。実は学者を目指していたが、1977年に新興企業だった同社に出合い、若いエネルギーにひかれて入社したという。東氏に当時を振り返り、そのキャリアを語ってもらった。
東京学芸大付属高校から、国際基督教大学(ICU)に入学した。
僕が高校の時に通っていた東京学芸大付属高校は受験校で東京大学を目指すような生徒が多く集まる学校でした。実は当時、ICUを知らなかったんです。友人が「受けてみようと思うんだが、一緒に見学にいかないか」というので初めて知りました。
(東京都三鷹市にある)ICUに行ってみると、今まで見たことのない環境でした。門を入ってすぐに大きな教会があり、広々とした芝生や緑の丘で、日本人だけでなく外国人も寝そべって楽しそうに話していました。当時のICUは、海外の学生が約25パーセント。非常に驚きました。
学校の説明が、またユニークでした。リベラルアーツの単科大学で、1学年200人。セクションと呼ばれる10数人のクラスのようなものがあり、そこに先輩たちがアドバイザーとしてついてくれる。さらに、ひとりひとりに教員の先生もついてくれて、とても濃い人間関係ができる。こういう場所で4年間過ごせたらいいなと思ったんです。受けてみたら受かったから、ここにしちゃおうと(笑)。
父は研究者だった。中国北宋の政治家、王安石研究の第一人者・東一夫氏だ。
父親は厳しかったけど、大学の進路に関してはとやかくいわなかった。研究者になってほしい、という期待はあったかもしれないけれど。進路を決めるうえで転機になったのは、東京大学から近代西洋経済史の研究者だった大塚久雄先生がICUにこられたことでした。大塚先生は歴史のダイナミズムを、社会学者マックス・ウェーバーの視点を取り入れて語り、毎回目の覚める様な思いがしました。そこに大塚先生のお弟子さんで、東京都立大学(現・首都大学東京)で日本経済を研究していた水沼知一先生も教えにきてくれるようになったんです。